自己肯定感について書いてきたので、
自分の話をしようと思います。
僕自身が、メンタルの学びを始めた時に勘違いしていたことです。
心理カウンセリングを受けるまでは、
「誰かのために頑張る」ことが、自分の生きる意味だと思っていました。
ですので、
塾講師って、本当に、
それにぴったりだったんです。
生徒たちのために、本当に頑張って生きていました。
でも、
結婚し、子供が生まれたとき、
奥さんに、
「子どもと塾の生徒とどっちが大事なん?!!」って怒られました。
「そりゃ、目先に受験を控えた生徒やろ」
って答えて、さらに怒られました。
そんな毎日でした。
始めは、「生徒たちに更なる結果を!」
と思って始めた、メンタルの学びでしたが、
「これ、自分の話だな」って思うことが多々ありました。
自分は、自分のことが好きだと思っていました。
で、もっともっと自己肯定感を高めれば、
もっともっと「誰かのために頑張れる」と思っていました。
でも・・・、
カウンセリングを受けているうちに、
気づいてきたのです。
それは、
自己肯定感は、高めるものではないということ。
自己肯定感とは、高いとか低いではなく、
自分を、肯定・・・、
「するか」「しないか」
だったんです。
TVの電源。ON/OFFみたいなものかと。
スイッチ入れたら、そこにあるんですよね。
気づいたら、そこにあったんですよね。
自分の「価値」も。
自分が「愛情」に囲まれていることも。
それに気づいたら、
できないことはできないと言えるようになり、
できることをあたりまえにできるようになり、
やりたい方に向かって、進めるようになりました。
「誰かのために頑張る」必要なんてなかったのです。
私には
凄く厳しい母親がいて、
その母親も私が20くらいで亡くなり、
あんまりわかってくれない父親がいて
その父親も25くらいで亡くなりました。
で、まあ、様々な人に「大変だったね」とか言われますけど、
今、自分が、「愛されていない」とは思いません。
子どもも、奥さんも、兄弟も、親戚もいるしね。
少ないけれど友達も、仲間も、
慕ってくれる生徒たちも。
そこに、
すでに、
あったんです。
初めから。
「誰かのために」なんて頑張らなくても。
そして、
「誰かの役に立って嬉しい」と思えるようになりました。
「誰かのためにならなければ」じゃないんです。
明日、ここをちょっと補足しようかな・・・。