ローカルフリーランス日記

北九州地方に住むフリーランス。話を聴く人。イベント作り。創業機運醸成、防災、街づくり、引きこもり支援、博物館、フードイベント、句会、古代史研究会など。昔のことは→ https://works.toiroha.jp/500

近しい人の死に触れて

ブルーで個人的な内容で申し訳ないですが、自分のために書いておきたい記事なのです。ご容赦くださいませ。

 

残念なお知らせ

4月8日、お釈迦様が生まれた日に、うちの会社の社長が亡くなりました。

(彼自身が日付さえ選んでいたような気がします。花祭り。)

 

社長、社員ひとり(私)、パートさん、その他登録講師・カウンセラー、的なラインナップでお送りしていたので、なかなか大きな出来事なのですが。

彼の死については、言いたいことや言いたくないこと、悲しいこと、怒っていること、などなどたくさんあるのですが、それはそれとして。

 

自分がどう生きるのか

告別式の翌日、比較的時間があったのでゆっくりしていました。

 

こんな感じ。

 

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いろいろ考えたんですけど。大切なことに3つ気づいたんで書いておくことにしました。

 

ひとつは、

自分の感覚を信じること。

僕にとっては、僕の感覚が正しいことがわかりました。

皆にとって良いか悪いかは知らないけども、僕にとっては僕の感覚が正しいので

「自分の感覚を信じて行動する。」

これを大切にします。

 

ふたつめは、

気づいた人が止めなければいけないということ。

 

人のネガティブさって、その大元は親(的なもの)に起因することが多いです その親はその親(祖父母)に、さらにその親は、、、と続いていきます。

それは企業やコミュニティのようなものも同様かもしれません。部活動のいじめなんかも似てますね。

だから、そのネガティブな連鎖に気づいたのなら、気づいた人が、そこで止めようよ。

ってことです。だから僕が気づいたので僕が止めます。家族関係の連鎖も、企業としてのネガティブさの連鎖も。

勇気と愛を持って立つ、って、たぶんそういうこと。

 

みっつめ

自分は生きるということ。

 

誰がなんと言おうと、

僕は生きる。

ただそれだけ。

 

自分の感覚を信じて、生きる。

 

 

自分の立ち位置と視点

カウンセラーがよく勉強する、ゲシュタルト療法という心理学の創始者が好んだ言葉に「ゲシュタルトの祈り」という言葉があります。その一説。

 

私は私のために生き、あなたはあなたのために生きる。

 

そうなんですよ。当たり前のことなんです。やっと意味がわかった気がするので、大切にしよう。

 

追記

だからこそ、僕は僕のために生きていくために、

僕は誰かの力になれると嬉しい。

でもひとりでは簡単じゃないことも多いかもしれないから、

時にはチームに入り、時にはチームを作り、時にはひとりでやっていく。

 

それでいいと思う。