近しい人の死に触れて
ブルーで個人的な内容で申し訳ないですが、自分のために書いておきたい記事なのです。ご容赦くださいませ。
残念なお知らせ
4月8日、お釈迦様が生まれた日に、うちの会社の社長が亡くなりました。
(彼自身が日付さえ選んでいたような気がします。花祭り。)
社長、社員ひとり(私)、パートさん、その他登録講師・カウンセラー、的なラインナップでお送りしていたので、なかなか大きな出来事なのですが。
彼の死については、言いたいことや言いたくないこと、悲しいこと、怒っていること、などなどたくさんあるのですが、それはそれとして。
自分がどう生きるのか
告別式の翌日、比較的時間があったのでゆっくりしていました。
こんな感じ。
いろいろ考えたんですけど。大切なことに3つ気づいたんで書いておくことにしました。
ひとつは、
自分の感覚を信じること。
僕にとっては、僕の感覚が正しいことがわかりました。
皆にとって良いか悪いかは知らないけども、僕にとっては僕の感覚が正しいので
「自分の感覚を信じて行動する。」
これを大切にします。
ふたつめは、
気づいた人が止めなければいけないということ。
人のネガティブさって、その大元は親(的なもの)に起因することが多いです その親はその親(祖父母)に、さらにその親は、、、と続いていきます。
それは企業やコミュニティのようなものも同様かもしれません。部活動のいじめなんかも似てますね。
だから、そのネガティブな連鎖に気づいたのなら、気づいた人が、そこで止めようよ。
ってことです。だから僕が気づいたので僕が止めます。家族関係の連鎖も、企業としてのネガティブさの連鎖も。
勇気と愛を持って立つ、って、たぶんそういうこと。
みっつめ
自分は生きるということ。
誰がなんと言おうと、
僕は生きる。
ただそれだけ。
自分の感覚を信じて、生きる。
自分の立ち位置と視点
カウンセラーがよく勉強する、ゲシュタルト療法という心理学の創始者が好んだ言葉に「ゲシュタルトの祈り」という言葉があります。その一説。
私は私のために生き、あなたはあなたのために生きる。
そうなんですよ。当たり前のことなんです。やっと意味がわかった気がするので、大切にしよう。
追記
だからこそ、僕は僕のために生きていくために、
僕は誰かの力になれると嬉しい。
でもひとりでは簡単じゃないことも多いかもしれないから、
時にはチームに入り、時にはチームを作り、時にはひとりでやっていく。
それでいいと思う。