ローカルフリーランス日記

北九州地方に住むフリーランス。話を聴く人。イベント作り。創業機運醸成、防災、街づくり、引きこもり支援、博物館、フードイベント、句会、古代史研究会など。昔のことは→ https://works.toiroha.jp/500

続々 自己肯定感 (自分の話)

自己肯定感について書いてきたので、

自分の話をしようと思います。 

 

yappyhappy.hatenablog.com

 

 

僕自身が、メンタルの学びを始めた時に勘違いしていたことです。

 

心理カウンセリングを受けるまでは、

「誰かのために頑張る」ことが、自分の生きる意味だと思っていました。

 

ですので、

塾講師って、本当に、

それにぴったりだったんです。

 

生徒たちのために、本当に頑張って生きていました。

 

でも、

結婚し、子供が生まれたとき、

奥さんに、

「子どもと塾の生徒とどっちが大事なん?!!」って怒られました。

 

「そりゃ、目先に受験を控えた生徒やろ」

って答えて、さらに怒られました。

 

そんな毎日でした。

 

 

始めは、「生徒たちに更なる結果を!」

と思って始めた、メンタルの学びでしたが、

 

「これ、自分の話だな」って思うことが多々ありました。

 

自分は、自分のことが好きだと思っていました。

で、もっともっと自己肯定感を高めれば、

もっともっと「誰かのために頑張れる」と思っていました。

 

 

でも・・・、

カウンセリングを受けているうちに、

気づいてきたのです。

 

 

 

 それは、

自己肯定感は、高めるものではないということ。

 

 

自己肯定感とは、高いとか低いではなく、

 

自分を、肯定・・・、

 

「するか」「しないか」

 

だったんです。

 

TVの電源。ON/OFFみたいなものかと。

 

スイッチ入れたら、そこにあるんですよね。

 

 

気づいたら、そこにあったんですよね。

自分の「価値」も。

自分が「愛情」に囲まれていることも。

 

それに気づいたら、

できないことはできないと言えるようになり、

できることをあたりまえにできるようになり、

やりたい方に向かって、進めるようになりました。

 

「誰かのために頑張る」必要なんてなかったのです。

 

私には

凄く厳しい母親がいて、

その母親も私が20くらいで亡くなり、

あんまりわかってくれない父親がいて

その父親も25くらいで亡くなりました。

 

で、まあ、様々な人に「大変だったね」とか言われますけど、

 

今、自分が、「愛されていない」とは思いません。

子どもも、奥さんも、兄弟も、親戚もいるしね。

少ないけれど友達も、仲間も、

慕ってくれる生徒たちも。

 

そこに、

すでに、

あったんです。

初めから。

 

「誰かのために」なんて頑張らなくても。

 

そして、

「誰かの役に立って嬉しい」と思えるようになりました。

「誰かのためにならなければ」じゃないんです。

 

明日、ここをちょっと補足しようかな・・・。