これからは熊本や大分に「行く」のが大切かも
現在の熊本を見に行ってきました。
あれからちょうど2か月が過ぎた6月16日。
少し小雨の降る中、師匠(のひとり)を訪ねて、熊本へ行ってきました。
前日は初めての体験も
15日は、たぶん、ある意味人生初のセミナーを開催しました。
今まで、会社の一員として会社の中で(塾や営業などで)、またはどこかに呼ばれてセミナーや講座をしたことは数えきれないほどありますが、自分自身だけの名前でセミナーしたのは(要は会社というバックボーンなしに)たぶん初めて、なんですね。
で、そのいくばくかの講師フィー(初任給くらいの気持ち!)を握りしめて、行ってきました熊本へ。
* まずは熊本城へ
震災後、熊本に来たのは初めてです。
何はともあれ熊本城だろうと考え、車を走らせました。
震災の影響で敷地の中には入れなかったのですが、すこし遠巻きな位置から状況が伺えます。
本当に、めっちゃ崩れてるんだな。
あんなに大きな石垣が
お堀の外側から城を臨みます。
そのまま進んだ私は、衝撃を受けました。
マジか。
あれ、めっちゃ大きいんだけど。
もはや城壁みたいな存在が壊れていました。
ちょっと、引いた写真の方がわかりやすいかも。
ああ、熊本は、まだ何も終わってないんだな、と。
復興というフェーズはまだまだこれからなんだな、と思った次第です。
私が気付いたこと
本当にたまたまなのかもしれませんが、以前私が平日来ていた頃より圧倒的に人が少ないです。
そして、日本人がいません。
外国の旅行客ばかりです。
歩いていても日本語が聞こえることはありませんでした。
いや、本当にたまたまなのかもしれません。
でも、日本語が聞こえてこなかったことは事実です。
居た堪れなくなった私は、売店がならぶゾーンに移動しました。
でも、そこにも人はあまりいませんでした。
売店のおばちゃんたちは、さすがに日本語でしたが。
とても複雑な気持ちになった私は、「爆買い」(するほどのお金は無かったんですがそんな気持ちで)しました。
様々なところ向けにお土産を買いました。
そしてコロッケを5個くらい食べました。すいかソーダとやらも買いました。
それから、師匠との待ち合わせ場所に移動しました。
師匠も被災していた
師匠も熊本在住なので、当然被災していました。
メンタルのプロである師匠ですら、2度目の大きな揺れ(本震)の後は、何もする気が起きなくなったとのことでした。
「これではいかん!」と思い直して、自分の家を片付けるのは諦め、ボランティアに参加したそうです。
始めは瓦礫を、後は誰かの家の片付けの手伝いを。
でもそのボランティアの中で、他人と話し合いながら、気持ちをわかちあいながら、自分自身が活力を取り戻していくのを体感されたそうです。
ここには書ききれないくらい、いろんな話を聴かせてもらいました。
(書けそうだったら別記事で書きます。)
嬉しかったのは、僕に会えて嬉しかった、と言ってもらえたこと。
「だって、震災でもなければ来なかったでしょ?」ですって。
帰り道、川沿いの道は通行止めでした。
* 結論:熊本や大分に行こう!
やっぱり、【被災地に行ってお金を使って】というのが私たちに「今」できる支援なのではないでしょうか。
もちろん無理がない範囲で。
でも、忘れないようにすることも大切。
あきらかにお客さんは減っていると思います。
前の記事でも書いたんですけど、お店はお客さんがいなかったら潰れます。
どのお店でもいいと思います。行ってみてはいかがでしょうか。
福岡から熊本まで、ほんの1時間ちょいです。
そして、熊本や大分を足を運んで、現在の状況を見ておくと良いかもしれません。
そして、誰かにそれを伝えるともっと良いかも。
マジです。
次の休みは、みんなで熊本や大分に行こう~!(爆買い推奨!)
「好き」ということは伝え続ける必要がある。~好きなお店が無くなるということ~
明日、退職する予定です。
「お前が言うな」感が満載ですが、ちょっと書いておきたくて。
(退職話は明後日にでも)
”「好き」ということは伝え続ける必要がある。“
中学生や高校生にも必ず知っておいて欲しいこと
アーティストや作家、お店などもそうですし、恋人や恋人未満の相手も同様です。
自分が「好き」だと、思っているだけでは何も伝わりません。行動が大切です。
「好き」だったら伝え、支える必要があるんです。
↑ この記事、必読です。
好きなお店が無くなる理由
お店でもアーティストでも、高齢化という問題は避けては通れませんし、今回のわが社の様に誰かが亡くなることで業務継続が困難ということも、多々ありますし、それは、しょうがない部分もあります。
でも、本当に儲かってしょうがないようなところであれば、誰か代わりの人が現れるでしょう。
私も、今までたくさんのお店を失い、悲しい想いをしてきました。
例えば、ここですね。北九州の人ならわかるはず。
あんなにたくさんのお客さんが毎日来ていたのに、なぜ。
誰か引き継ぐ若手はいなかったのか。
むしろ知っていたら「引き継ぎたい!」という若手がいたのではないか。
そこには、ビジネスチャンスがあるかもしれませんね。
「高齢の有名店と、働きたい若者を繋ぐサービス。」
いいかも。
私は高校生の時には、CDをレンタルするというのが主流でした。今は、1曲ずつダウンロードしたり、Youtubeで視聴したりしてる人がほとんどかも。
でも、それってどのくらいアーティストにお金が入っているのでしょうか。そこを考えるのも、重要かも。
私が実践している、ファンとして在り方
だから、私は、好きになったお店に関しては、他人にゴリ押ししています。けっこう無理やり連れていくこともあります。「奢るんでついてこい」くらいの勢いです。
そこで喜んでもらえると、私も嬉しい、お店も嬉しい、と、WIN-WINの関係だけでなく、WIN-WIN-WINという素晴らしい関係を築くことができます。私一人の力では限界があります。だからこそ、シェアしていくことが重要になります。
それが好きなお店に対する、「感謝」だと思うのです。対価を払うだけではなく。
まあ、それくらいの勢いでやらないと、お店は無くなってしまうってことです。
アーティストや、作家に関しては、ただ商品を買えばいいというわけでもないのが難しいところ。
音楽で例に例えると、ライブやカラオケ、ダウンロードなら、その何パーセントかが、印税になるのですが、商品となると別です。
そこは、初版が何部か、というのが大切になります。
その初版がどのくらいになるかという判断は、前の作品の初動が大切です。
発売から始めの週で、どれだけ売れたか、です。ランキングとかそうですよね。ほぼ初週が1番上位ですよね。
結局、どうすればいいかというと本にせよ、音楽にせよ、始めに好きになるのは借りたりで、大丈夫。
でも、あなたがその作品やアーティストに、本当に感謝をしているのなら、
「次の商品を、発売日に予約して、買おう。」ということです。
それが、感謝だと思うんです。
どうですかね 。
互いに思いやり、助け合う暮らし。
前回の記事に書いた、カート・ヴォネガットの「これで駄目なら」があまりに心に染み渡るので、追記を。前回の記事はこれ。
この本の良さをさらに伝えたいと考えているのだが・・・。
私が文章的なセンスがもっとあれば、自分の言葉で書いていくのだが、やはりプロには及ぶべくもないということで、帯の言葉を紹介しようと思う。
『これで駄目なら ~若い君たちへ 卒業式講演集』レビューその2
まずは、訳者「円城 塔」さんの言葉。
ここに収められた講演で、ヴォネガットは大人になることと、大きなゆるやかな家族関係を築くことを繰り返し主張している。
ただ大人になるのではなく。ちゃんとした大人になることを。
親子二世代だけの暮らしではなく、大きなコミュニティに属し、互いに思いやり、助け合う暮らし。 (『これで駄目なら』訳者あとがきより)
私がメンタルや教育の仕事をしていて痛切に思うことのひとつは、「お母さんが背負いすぎているように感じられること」だ。
たくさんのお母さん達が「子どもをしっかり育てよう」と考え、そのためには「自分が良い母親であらねばならない」と考え、自分を押さえつけながら頑張っているように感じられる。
でも、このブログで繰り返し伝えてきたように、子育ての本質はお母さんの笑顔であり、お母さんが笑顔であれば子どもは幸福に育っていく。
「子どもたちの幸福が大切じゃないっていうんなら、他に何があるっていうんだい?」
幸せをもちよるコミュニティ
昔は良かった論では無く、これからもそういったコミュニティを作っていくことは可能だろうということ。
子育てはもっとたくさんの大人が関わってやっていけばいい。お母さんだけが背負っていかなくてもいい。
だから私は、自分の街からそのコミュニティを作る一助になりたい。
(どういうことかは、↓ここに書いてあることを参考に)
Big Future From Small World: 北九州 秘密基地で体感した”資本主義の次”の世界=Sharing Society
最近の私は、幸せなことに、「互いに思いやり、助け合う暮らし」が少しずつできるようになってきたように思う。
わが社の代表は亡くなり、それに伴い会社も無くなることになり、考えてみると、合計4社目の終わりに付き合っているわけだが、それでも幸せな人生であろうと考えている。(その辺はまた今後詳しく。)
ヴォネガットの立ち位置
最終的には、自分が社会に対して、どんな立ち位置をとって生きていくのか、という話だろう。
彼は、人間を愛するということ。その視点が大学生への講演の中にたくさん詰まっている。ヴォネガットは、もともとざっくりSF作家なので、登場人物が厳しい言葉、汚い言葉で語ることも多い。だが、この講演集は作家本人の持つ、とても人間愛にあふれた姿勢に接することができる。
最後に、帯の糸井重里さんのキャッチコピー
買ってしまいますね。ヴォネガットのファンは。
いまごろ出版されて、よかった。って、まさにその通りで。
さすが。
上手いコピーライターという人達は、芸術家だと思う。
カウンセラーやコンサルタントの役割とはまったく違うわけで。
(その辺も面白い話があるんで、今度書きます。)
では、また。
憎悪無しにやってみようとしているだけ~読書『これで駄目なら』著:カート・ヴォネガット~
私が大学生だった時「ガツン!」と衝撃を受けた本の中に、『チャンピオンたちの朝食』という本がある。
まあ、恥かしいことを言えば、村上春樹がデビュー作である『風の歌を聴け』という小説を書いたときに大きく影響されたという話を聞いて、手に取った本だった。
詳しく書くのは別の機会にするが、この古き良き4番打者が「一発で決める感」みたいな感覚がとても印象に残っている。
故カート・ヴォネガット
その作者が、カート・ヴォネガット - Wikipediaだ。彼の本を全て熟読しているわけではないので、胸張って好きだと言えるわけではないのだが、最近本屋で新刊を見つけた。
若い君たちへー卒業式講演集
1978年(私が生まれた年!)から2000年くらいまでの、大学卒業式での講演を集めたものだ。
本屋で立ち読みしながら、パラパラとめくっていたのだが、 とても心に響いてくるので即買いしてしまった。
慣れていない人には、どこまでがジョークでどこまでが本気かわかりにくいと思うが、たぶんほとんどがジョーク。でもその中に、社会に対する優しい視点だったり、人間愛だったり、卒業していく大学生の未来に対する期待だったりが含まれている、と思う。
IF THIS ISN'T NICE,WHAT IS ?
邦題は「これで駄目なら」となっているが、原題はこれ。
ざっくり言うと、「これが良くないなら、他に何がある?」的な感じでしょうか。
ちょっと引用。
彼が人類について発見した不快な点の一つは、自分が幸せであるということに気づかないことだ。彼自身はというと、幸せなときにそれに気づくことができるようにと全力を尽くしていた。夏の日、私たちはリンゴの樹の木陰でレモネードを飲んでいた。叔父のアレックスは会話を中断してこう訊いた。「これで駄目ならどうしろって?」(2章より)
完全に、激しく、同意。
自分が幸せであることに(それが一部分だったとしても、一瞬だったとしても)気づくこと。それは凄く大切だと思う。
こん 胸に響くエピソードが満載の本だ。他にも引用して紹介しまくりたいけど、我慢してもうひとつだけ。
金の稼ぎ方・愛の見つけ方
1章はこんなタイトル。タイトルからして痺れる。んで、言ってるのはこんなこと。
ヴォネガットは、マスコミが「若者たちが無気力になっている」と伝えていることに対して、こう言う。
今の若者に足りないのは憎悪というビタミンだと。
「いつの時代でも憎悪が純粋なコカインの効き目をしのぐ」と。「ヒトラーは打ちのめされ、破産し、餓死しかけた国家を憎悪の力だけで復活させた」とも。
でも、もちろん、憎悪を肯定しているわけじゃない。
若者たちは無気力に陥っているのではなく、憎悪から快楽を得ることに慣れている人々からはそう見えるのにすぎないのではないかと思っている。
この一節を読んで購入を決意した。これが、僕がずっと抱えてきた世代間ギャップ(のようなもの)を、本当に端的に言い表した言葉だ。
なぜ、もう少し冷静に考えないのだろうか?
上の世代の人たちを見てきて(もちろん一部の人たちのことだが)政治の世界でも左とか右とかあって、罵り合っている(ように見える)けれども、なんで争わなきゃいけないの?国家歌わないことに、起立しないことになんの意味があるの?なくならない差別。いじめ。どっちだって良くない? で、「若者は元気が無い」ってバカなの?現実的に考えて、一番良い(と思われる)ところを探っていくのが大切なんじゃないの?
って思ってきてんだけど、こういう表現でしっくりくるんだなと。それも1978年、僕が生まれた年に、こんなこと言う大人がいたんだ。素晴らしい世界だな、と。
みんなは、居眠りしているわけでも、無関心なわけでも、無気力なわけでもない。単に憎悪無しでやってみようとしているだけだ。(略)君たちのやろうとしていることは素晴らしい。うまく行くことを祈っている。
という言葉でその講演は終わる。
この言葉を、同世代の皆に伝えたいと思って、このブログを書きました。
僕たちが実現しようとしている未来は、間違ってないんだ、と。
これから大人になる、大学生・高校生にも是非読んでほしい一冊だ。
必ず君の背中を押してくれる言葉に出会うことができる。
では、また。
追記:やっぱり言い足りないんで、続き書きました。
子ども達の未来。教育の未来。センター試験の終わり。
中学2年生より若いお子様をお持ちのご家族は知っておきたい、教育業界の変化についての話です。
センター試験が変わる、って聞いたことがありますか?
2021年度から、大学入試センター試験が、新しいテスト(「大学入学希望者学力評価テスト(仮)」)に変わることが公表されています。
センター試験に、記述式の問題が導入されるというのが、主な変更点として知られています。
まずは、現状認識から
その辺の議論が、まだまだ途中で、実際の対応策を検討できない現状だったんですが、ひとまずの「最終報告」がでました。
これからの時代に我が国で学ぶ子供たちは、明治以来の近代教育が支えてきた社会とは質的に異なる社会で生活をし、仕事をしていくことになる。
(以下引用は全て、下記のリンクより)
もう今までと、違うんですって。
社会の変化に今の教育では対応できないんですって。(既にできてない気もするけど)
このような大きな社会変動の中では、これからの我が国や世界でどのような産業構造が形成され、どのような社会が実現されていくか、誰も予見できない。確実に言えるのは、先行きの不透明な時代であるからこそ、多様な人々と協力しながら主体性を持って人生を切り開いていく力が重要になるということである。
で、どうなるか、誰にもわからないんですって。
学力の3要素
(1)十分な知識・技能、
(2)それらを基盤にして答えが一つに定まらない問題に自ら解を見いだしていく思考力・判断力・表現力等の能力、そして
(3)これらの基になる主体性を持って多様な人々と協働して学ぶ態度である。
だからこそ、多様な人々と交流し、主体性を持つ必要があって、
人生を自分で切り開く必要があるんですって。
親がやってきてないことを、子どもが実現するのはなかなか大変です。
主体性をもって多様な人々を受け入れているかというと、簡単じゃないですよね。
塾行く前に、一度は目を通しておきましょう。
真面目な話、
現在中学校1年のお子様をお持ちで、学習塾への通学を検討しているご家庭は、さらっとで良いので目を通しておきましょう。そのうえで、塾講師に「先生は読まれましたか?その上でどうお考えですか?」と尋ねてみましょう。
その塾が、未来を見据えて戦っているのか、今だけに囚われているのか。
その生徒の学力アップに対して、「その子の大学入試まで見据えて」指導しているのか、「今の目先の成績アップだけを目指して」指導しているのかが、わかります。
どちらが良いというわけではなくて、今のお子様にどちらが必要なのか、で考えましょう。
で、どうなるの?って話ですよね。
記述式問題導入は特に「国語」が優先されるようです。
当面は短文記述問題からスタートし、2025年度入試から長文記述式問題の導入も検討されているようです。ただ、採点についてなど、今後の検討事項も多くあります。
新テストのより確かな形がわかるには、もう少し時間がかかりそうです。
でも、「多様な人々と協力しながら主体性を持って人生を切り開いていく力が重要になる」ことは間違いないです。
親として、人生の先輩として、自分の人生を切り開いていく。
そんな背中を見せるのが大切だと言えそうですね。
本当に自分のやりたいことを、やっていく。
たぶん、心理カウンセリングが一番有効なのは、
「自分のやりたいことを理解し、やる」
ことができるようになるところです。
そして、他人と自分の違いを認めることです。
子どもにではなく、まず親自身が、自分を見つめることが大切ですね。
ではまた。
昔、こんな記事も書きました。
「あなたのことが大好きなんだよ」と伝え続ける
「最近、子どもに、大好きだよって、言ってあげてないな・・・」
子どもが大きくなるにつれ、そんなお母さんも増えてくるのではないでしょうか。
今日はそんなところも、子どもが力を伸ばすには大切なんですね、という話です。
子育ては気持ちを伝えあうことが大切
先日お話させていただいた方も、そんなひとり。ちょっとだけ子育てに悩む3人のお子さまを育てるお母さんでした。
「いったい、いつから言ってないのかな」
「なんで言わなくなったのかな」
子どもがもっとずーっと小さい時は、言ってあげていましたよね。
お母さん。あなたは何歳くらいまで「大好きだよ」って言葉を伝えていましたか?
もしかしたら、今もたくさん言ってあげているかもしれませんね。そんなお母さんはそれでOK!です。どんどん言ってあげましょう。
そう、言葉にして伝えるということは、とても大切なことなんです。
ちゃんとした母である、ということ
先ほどのお母さんはとても立派なお母さんでした。3人の子どもを育て、それぞれの子どもの将来を気にかけていました。(それだけで、とっても素晴らしいことです!)でも、ちょっと心なしか、表情も沈んでいるように思えました。
受験に必要な内申点についてや、内申点を上げる仕組みについてアドバイスをさせていただき、その後、お話を聴かせていただきました。
とてもお子さんを愛されていて、その気持ちがこちらにぐっと伝わってくる方でした。しっかり子育てされていて、まじめなお母さんだな、という印象を受けました。ちゃんとしたお母さんなんだろうな、って感じです。
お母さん自身が笑顔であること
でも、最近、抱きしめたり、愛していることを言葉にしたり、あまりしていなかったそうです。
「なんで言ってないんだろう」
って考えられていました。あの頃はあんなに言っていたのに、って。
そこでは答えがでませんでしたし、それぞれでいろんな理由があることも間違いありません。
もしかすると、子どもが大きくなってくると、照れくさくなってくるかもしれませんし、忙しい毎日であることも影響するかもしれません。
そこでお母さんにお伝えしました。
「お母さんが笑顔であること、楽に生きることが一番ですよ」と。
(もちろん子どもの学力アップのためにも。)
子どもを愛することを伝える母であること
これは私がそう思っているだけなのですが、「ちゃんとしたお母さん」であるよりも、「子どもに愛を伝えるお母さん」のほうが良いと考えています。
ごはんが手抜きでもいいんです。
だらだらしていてもいいんです。
掃除が行き届いてなくてもいいんです。
わが子に「あなたのことが大好きなんだよ」と伝え続けることができれば、それが一番大切だと思います。
ちゃんとした母親<子どもを愛することを伝えられる母親
だと思います。
それが成績にどう反映されるかは、また次回書きますね。
では、また。
街を心の栄養で満たす
前回の記事からだいたい一ヶ月経ちました
いろいろと大変な日々だったのですが、一生懸命体を使って働くことで雑念がほぐれてきました。やっぱり、行動も大切なんだと実感しています。
考えても答えがでないこともたくさんあります。
でも行動したことで変わったことはたくさんあります。
思考・感情・行動、とカウンセリングの業界ではよく言いますが、
そのバランスが大切だなと思います。
行動した結果わかった、結論を書いておきます。
ぼくがこれからやっていくのは、
「街を心の栄養で満たす」
ことでした。僕は北九州とその周辺から。
一緒にやってくれる仲間を募集中です。
心の栄養というのは、交流分析という心理学で「ストローク」と言われています。
人との関わりそのものを増やすことですね。できれば肯定的なものがいいですね。
ストロークは、人が他者に与える認識、注意、反応であり、肯定的または否定的なものである。ストロークの主要な考えとしては、人は他者からの認識や肯定的なストロークに飢えており、それがたとえ否定的な認識であっても、人はどんな種類のストロークも求めるということである。
最近の動き
というわけで、最近は北九州の「秘密基地」というところらへんでいろいろやってます。かなりの確率でここと関係したことをやってますので、どんなところかぜひ以下のページをチェックしてみてください。
Big Future From Small World: 北九州 秘密基地で体感した”資本主義の次”の世界=Sharing Society
この人から、ファシリテーションの大部分を教わりました。
そのおかげで、とある大学のゼミにファシリテーションをお伝えさせていただくこともできるようになりました。
ブログを書かなかった言い訳
ひとつ言い訳させていただくと、自宅のパソコンではてなブログを開いても「記事を書く」というところが押せなかったんですよね。正確に言うと、そこらへん全部なんですが。
このへんが全部効かない感じです。
でもさすがにスマホでブログ書くのも面倒なので、ほったらかしていたところもあります。
今回は、会社のノートパソコンを持って帰っているので、こうやって記事がかけているというところです。
原因はなんなんでしょう?
久しぶりに、Google先生に聞いてもわかりませんでした。家のパソコンがなんらか悪いんだとは思いますが・・・。
モヤモヤしたままですが、いろいろ書きたいこと、お伝えしたいこともたくさんありますので、これから整理してお伝えしていきたいと思います。
でも4月は一回しか書かなかった(そのうえにあんな内容)だったのですが、変わらず検索から見に来てくれる方がたくさんいます。本当にありがたいことですね。
ではまた、よろしくお願い致します。