互いに思いやり、助け合う暮らし。
前回の記事に書いた、カート・ヴォネガットの「これで駄目なら」があまりに心に染み渡るので、追記を。前回の記事はこれ。
この本の良さをさらに伝えたいと考えているのだが・・・。
私が文章的なセンスがもっとあれば、自分の言葉で書いていくのだが、やはりプロには及ぶべくもないということで、帯の言葉を紹介しようと思う。
『これで駄目なら ~若い君たちへ 卒業式講演集』レビューその2
まずは、訳者「円城 塔」さんの言葉。
ここに収められた講演で、ヴォネガットは大人になることと、大きなゆるやかな家族関係を築くことを繰り返し主張している。
ただ大人になるのではなく。ちゃんとした大人になることを。
親子二世代だけの暮らしではなく、大きなコミュニティに属し、互いに思いやり、助け合う暮らし。 (『これで駄目なら』訳者あとがきより)
私がメンタルや教育の仕事をしていて痛切に思うことのひとつは、「お母さんが背負いすぎているように感じられること」だ。
たくさんのお母さん達が「子どもをしっかり育てよう」と考え、そのためには「自分が良い母親であらねばならない」と考え、自分を押さえつけながら頑張っているように感じられる。
でも、このブログで繰り返し伝えてきたように、子育ての本質はお母さんの笑顔であり、お母さんが笑顔であれば子どもは幸福に育っていく。
「子どもたちの幸福が大切じゃないっていうんなら、他に何があるっていうんだい?」
幸せをもちよるコミュニティ
昔は良かった論では無く、これからもそういったコミュニティを作っていくことは可能だろうということ。
子育てはもっとたくさんの大人が関わってやっていけばいい。お母さんだけが背負っていかなくてもいい。
だから私は、自分の街からそのコミュニティを作る一助になりたい。
(どういうことかは、↓ここに書いてあることを参考に)
Big Future From Small World: 北九州 秘密基地で体感した”資本主義の次”の世界=Sharing Society
最近の私は、幸せなことに、「互いに思いやり、助け合う暮らし」が少しずつできるようになってきたように思う。
わが社の代表は亡くなり、それに伴い会社も無くなることになり、考えてみると、合計4社目の終わりに付き合っているわけだが、それでも幸せな人生であろうと考えている。(その辺はまた今後詳しく。)
ヴォネガットの立ち位置
最終的には、自分が社会に対して、どんな立ち位置をとって生きていくのか、という話だろう。
彼は、人間を愛するということ。その視点が大学生への講演の中にたくさん詰まっている。ヴォネガットは、もともとざっくりSF作家なので、登場人物が厳しい言葉、汚い言葉で語ることも多い。だが、この講演集は作家本人の持つ、とても人間愛にあふれた姿勢に接することができる。
最後に、帯の糸井重里さんのキャッチコピー
買ってしまいますね。ヴォネガットのファンは。
いまごろ出版されて、よかった。って、まさにその通りで。
さすが。
上手いコピーライターという人達は、芸術家だと思う。
カウンセラーやコンサルタントの役割とはまったく違うわけで。
(その辺も面白い話があるんで、今度書きます。)
では、また。