ローカルフリーランス日記

北九州地方に住むフリーランス。話を聴く人。イベント作り。創業機運醸成、防災、街づくり、引きこもり支援、博物館、フードイベント、句会、古代史研究会。

自分の棚卸し② 「自分自身の、本当の気持ちに触れる」

前回の記事からの続きです。

自分のストーリを添削無しで綴っています。

 

第2章「自分自身の、本当の気持ちに触れる」

 次に私が直面した課題は「誰のために働いているのか」ということでした。当時までの私は、自分のため会社のため家族のために働いているとはとても言えない状況でした。妊娠中の妻に「生まれてくる子どもと塾の生徒どっちが大丈夫なん?!」と言われ、「塾の生徒達に決まってるやん」と答え、怒らせたこともありました。その時の私は、お客様のために働いていました。そういうと良さそうな印象を持つかもしれませんが、私は誰かのためにならないと自分に価値が無いと考えていました。それは、あたかも、母親に愛されないと生きていけないのと同じで、私は母親のために生きていたじぶんそのものだったのです。

 

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 私の母親は大変厳しい、母親で週に習い事を6日させられるような毎日を過ごしていました。私の教育方針を巡って父と母が良く喧嘩していたことも思い出です。苦手なことには集中力がほとんど発揮できなかったり、落ち着きが無かったり、運動神経が鈍かったり、すぐ落ち込んだりする私に、彼女もイライラしていたことでしょう。厳しく育てられている中で、塾選びや進学に関しても、彼女の言いなりになっていました。中学時代に塾を突然変えられたときは、泣いて怒りましたが無駄でした。しかし、母を亡くしてから、私に生きる方向を押し付ける人はいませんでした。でも、それまで私は自分自身の生き方を決めたことがほとんどなく、その結果、求められることの嬉しさのままに、顧客のために、塾の生徒達のために生きてきました。

 

 しかし、会社と顧客の間で迷ったとき、常に顧客の立場に立ち続けるような営業スタイルが、会社のためにも自分のためにも、そして顧客のためにも良いはずがありませんでした。そのしわ寄せの中で、同じことを繰り返してきたような気がします。あまり良い状況では無い会社に入り、そこそこの結果を出し、会社の文句を言いながら会社から心を離し、心をごまかしながら働く。そうして心の限界に気づかないまま、体は限界に近づいていました。塾を辞める頃、私は100キロ近い体重があり、血圧も高くなっており、整骨院に通う日々でした。しかし、カウンセリングを続け、母を失った悲しみを受け入れ、消化していく中で、私は徐々に「自分のために生きてもいいのかな?」という気持ちが芽生えてきました。

 

 そして、塾を辞め3年くらいたった頃、私は一冊の本に出会います。その頃、私はFMKITAQさんというところで「ラジオカウンセラー学院」という番組をしており、次の枠の時間で「関門独立共和国」という番組をしていたのが、門司港バナナマンこと秋武政道さんでした。そんな彼が一番初めにオススメしてくれたのが『ストーリー思考(著:神田昌典)』という本でした。仲間とその本を読みながら、本に従って一本の線を引きました。3日後の自分から今の自分に向って曲線を左手で。すると、2日目にとてもポジティブな線が引かれていました。

 

 2日後、知り合いの娘さんが中学3年生で、国語がとても苦手だということで、会って話をしてほしいということでした。作文の書き方を簡単に教え、あとはとりとめのない話を続けたような気がします。でも、彼女にはとてもためになったらしくて、とても喜んでいただけました。私はそれが、とても嬉しかったのです。相手のためにならなければいけない自分だった私は、「なんだ、私は誰かに何かを伝え、それを喜んでくれることが嬉しいんだ」とわかりました。

 

 そのことがわかった私は、自分が以前働いていた塾に行き、週2で講師をさせてもらうことにしました。自分の知っている技術と知識を伝え、喜んでもらうこと。これが自分のやりたいことなんだと、初めて気づいたのです。

 

 1年半くらいの短い間でしたが、ここでは生徒たちに多くを求めることなく「君たちは愛されているんだ」「君たちはどんな条件であっても合格していいんだ」ということを許可し続けました。それは私自身に言った言葉かもしれない、とも思います。

 

(続く)

自分の棚卸し① 「塾を辞める」の巻

7月1日に機密文章を処理して、本当の意味で会社を片付けた気がしました。

キツイ日々だったのですが、とても楽になった気がしました。

 

そして、7月2日に北九州創生塾というところで、マーケティングの1日講座に参加しました。

 

※北九州創生塾のFACEBOOKページはこちら。

https://www.facebook.com/souseijuku/?fref=ts

 

そこで、宿題として出されたのが、自分自身のパーソナルストーリーを作るということ。できるだけ詳しく書けと、A4に3枚は書けと、厳しく言われたので、頑張って書くことにしました。で、講師の先生が何度も添削してくれて、自分のパーソナルストーリーができる手はずになっています。

 

というわけで、ここでは、その手直しされる前の、ぐだぐだの自分自身の話を、何回かに分けてアップしたいと思います。ある意味、自分自身が受けてきたカウンセリングのストーリーそのものです。

 

というわけで、自分の話。

第1章。「塾を辞める」の巻

「頑張っているのに・・・うちの子は試験で結果が出ないんですよね・・・」

 

 私が中学生向けの学習塾で教室長をしていたとき良く聴いた、お母さんたちのセリフです。今まで中学生をトータルで1000人くらい指導してきましたが、私自身の一番の悩みでもありました。すごくすごく頑張っていたのに、「試験の当日に熱を出したり」「部活の試合前にケガをしたり」「本番前にやる気を急になくしたり」、そんな生徒たちがたくさんいました。

 

 中でも、ひとり、絶対に合格するだろうと確信していた生徒が不合格になった時、私は「このまま塾講師として続けても、同じことを繰り返すだけだな。不合格にさせてしまうだけだな」と思い、塾を辞めることにしました。

 

 いろいろどうしたら良いのか迷った結果、心理カウンセラー養成スクールで働きながら心について学ぶことにしました。営業や事務処理しながらコミュニケーション心理学や自分の幼少期の課題に触れる心理カウンセリングを学んでいく中で、私は自分自身の課題に気づいていきました。

 

 まずおかしいな?と気づいたのは、小さな我が子を見ているときでした。息子はとても可愛く、目に入れても痛くないという意味をかみしめている所でした。しかし、なぜか可愛いと思うたびに、何かいいようのない寂しい気持ちになるのです。夕暮れ、だんだんと暗くなっていくような物悲しさが私を包むのです。

 

 学びながら自分を見つめていく作業の中で私は気づかされました。これは親を亡くした悲しみなんだと。私は20代の頃に両親の無くしているのですが、長男だったこともあり、とても大変でした。忙しさにかまけて悲しめていなかったんだと。初めてそれに気づいた日、私は泣きました。もう両親を亡くして10年以上経っていたにもかかわらずたくさん泣きました。

 

 帰り道、空を見上げると、何か世界が明るくなったように感じました。世界が輝いているように見えたのを強く思い出します。 

 

 そして、家に帰り息子を胸に抱いたとき、その寂しさは消えていました。我が子はとても生命力に溢れ、強く愛されるために生まれてきた存在であると感じました。もしかすると、本当に子どもを愛せるようになったのは、この時かもしれません。そして、その時息子に感じたことは、自分に感じていたのかもしれない、とも、思います。

 

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(続く)

 

 

北九州で機密文書を処理してきたよ!

会社を先日閉めたんですが、たくさんの個人情報が残っていました。

中でも本当に漏れたらやばい書類が段ボール5箱。その処理に大変困っていたので、「機密文書 処理 北九州」で検索してみたところ、実際の処理現場が見れるというところがあり実際に行ってきました!

北九州で個人情報の処理に困っている人にオススメです!

今回伺ったのはコチラ↓公式ホームページもご確認ください。
九州製紙の機密文書溶解リサイクルシステム


まず入り口がわからないので注意

10分前くらいに着けば十分だろうとグーグルマップで調べながら行ったのですが、グーグルマップではどうしてもたどり着けないというアクシデント。

電話して詳しく聞いたところ、洞岡門(くつおかもん)というところから新日鉄ゾーンに入らないといけないとのこと。

おお、いきなり冒険の匂い。
北九州の民であれば誰もが知っているあそこに、ついに足を踏み入れる時が!
と変なテンションで移動。


来た!ここが洞岡門。
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社名、顔写真入りの身分証明書、電話番号などを受付で記入し、入構証をゲット。

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同行する全員の身分証明書の提出が必要となりますので、免許が無い人間は入れませんね。子どもは連れてこれません。残念。


広大な敷地をひた走ります。

敷地内なのに踏切を3回も超えて進みます。

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おお!見えてきました!
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まずは事務所にご挨拶。
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そして、外の計量器で、車ごと重さを量ります。

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帰りにも重さをはかり、その重さの差で値段が決定する模様です。



工場の中へ書類の山を運びます。

ゴゴゴゴ・・・・。
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案内された2番ゲートへ・・・。


工場の写真はNGとのことなんで、公式HPの画像でお楽しみください。

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九州製紙公式HP:リサイクルシステムの流れ


この目で溶けるのを見るまでは信用できない!

お客様からお預かりした、大切な個人情報ですもんね。この目で確かめたいという方も多いと思います。
実際に紙が溶けるのは、別室のモニターで見ることができます。

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エアコンも効いて飲み物も用意されており、大変快適な部屋です。

外は30度を超える暑さでしたので、ここはもはや天国です。

ベルトコンベアーをゆっくり上がっていくので、一時間ほどかかるとのこと。
ここは当然溶ける瞬間を見たいですよね。

うちの段ボールがベルトコンベアーを上がっていく様をお見せできないのは大変残念ですが、モニターの画像は撮影してもいいとのこと。

こんな感じですね。
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45分くらい待ったところで、キター!

うちの段ボールが落ちた!
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サヨナラ~!
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というわけで、無事にうちの個人情報たちは溶けていきました。


溶けた紙はトイレットペーパーにリサイクルされるそうです。
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エコに興味ある方はぜひ買ってみてはいかがでしょうか!


でも・・・、お高いんでしょ?

そう、気になるのはお値段ですよね。
運送会社さんのサービスを利用すると、ひと箱1000円以上しますからね。

結局、5箱80キロほどの紙を処理していただきました。
引き取りサービスなら8000円近くする感じですが・・・・。

その気になる結果は!

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驚きの800円足らず!激安!

もう叫びたい!

いや~これはオススメですね。

格安&工場見学付き!

ちなみに依頼すれば≪溶解証明書≫というものも発行されます。
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これで、安心ですね。

北九州で個人情報などの機密文章の処理に困ったら、ぜひご検討ください。

なかなかにエンターテイメントでした。

自分のルーツを探す旅。そしてカタルシス。~読書:『また会う日まで』(著:ジョン・アーヴィング)

高校生にオススメしたい、本を読む素晴らしさ

やっぱり読書って面白いなあと思うのは、昔、読んだ本の中にも、何度も読み返したい本もあれば、お気に入りのシーンだけを何度も読みたいものがあるからです。

 

世の中には素晴らしい物語がたくさんありますが、何十回も読む本というのは、そんなに多くはないのでは。

 

って、1000年前の随筆みたいな話(枕草子とか徒然草みたいな)になっていますが。

 

人生で一番読み返したのはこれ

おそらく一番何度も読み返しているのはこれです。

はっきり言って、どのページどの文を読んでも素晴らしいの一言。村上春樹さんの小説やは大好きですが、この訳だけはオススメしないです。個人的には、ですよ。

 

 

今回は、お気に入りのシーンについて。

情景だけで言えば、僕が一番気に入っているシーンがあります。

その本は、恥ずかしながら自分で持っていないのですが、近くの図書館にあります。

福岡県の人口2万人くらいの街にある小さな図書館で、おっさんがこの本を読みながら涙ぐんでいたとしたら、それは確実に僕です。

この本です。

また会う日まで 上

また会う日まで 上

 

 

自分のルーツを探る話がメインで、僕にとっては、この『ムーンパレス』の話とシンクロするものがあります。あと、僕自身はあまりネガティブな物語が好きではないのですが、なんとなくポジティブな要素が多く含まれているのも、好きなところです。

これもオススメです。

 

あらすじ

逃げた父は、教会オルガニストにして全身楽譜の刺青マニア。
跡を追う刺青師の母と幼子が、北海の港町を巡ってゆく。
父を知らない息子は年上の女たちに溺愛されながら成長し、
やがてハンサムな映画俳優に――。

ってあらすじが 新潮社のサイトに。このあらすじだけでゾクッとしますね。

訳者インタビュージョン・アーヴィング『また会う日まで』(上・下)

(ほとんどネタバレないけど、訳者インタビュー読むのは、本編読んだ後のほうがいいかも。)

 

ラストシーン

話の流れとしては、映画で言うところのロードムービー的な感じなので、主人公であるジャックが子どもの時、大人になってから、様々な街を巡っていくような物語になります。

 

そして最後の街で、音楽のイメージと共に、私はいつもぐっと涙を堪えているのです。

いや、むしろ泣いているのです。そしてとても浄化されたような気持ちになります。

カタルシス。 

 

小説なのに、音楽のイメージ?と思われるかもしれませんが、その音楽をイメージさせる技術が、さすがジョン・アーヴィングなわけです。何度も何度も、物語の中でその音楽をイメージさせるんですね。

 

文字や言葉で、音をイメージする

これ、教会のオルガンなんですが、どんな音なのか、イメージできますか?

 

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もし、イメージできない中学生や高校生は、ある晴れた日にどこか結婚式場の横を通りかかった時に耳を澄ましてみましょう。日曜日の11時くらいがいいかもしれません。

きっとオルガンの音が聞こえてくるはず。そしてその音がとても大きく聞こえてきたら・・・と想像してみてください。

 

ちょっとでもイメージできたあなたには、超オススメの作品です。

また会う日まで 下

また会う日まで 下

 

 ちなみに下巻はこれ。

 

高校生に・・・と書きましたが、大人にこそ読んでほしい物語です。

自分自身を見つめる旅に、ジャックと一緒に出てみませんか。

きっと自分自身をもっと大切に思えるはずです。

これからは熊本や大分に「行く」のが大切かも

現在の熊本を見に行ってきました。

あれからちょうど2か月が過ぎた6月16日。
少し小雨の降る中、師匠(のひとり)を訪ねて、熊本へ行ってきました。

前日は初めての体験も

15日は、たぶん、ある意味人生初のセミナーを開催しました。

今まで、会社の一員として会社の中で(塾や営業などで)、またはどこかに呼ばれてセミナーや講座をしたことは数えきれないほどありますが、自分自身だけの名前でセミナーしたのは(要は会社というバックボーンなしに)たぶん初めて、なんですね。

で、そのいくばくかの講師フィー(初任給くらいの気持ち!)を握りしめて、行ってきました熊本へ。

* まずは熊本城へ

震災後、熊本に来たのは初めてです。

何はともあれ熊本城だろうと考え、車を走らせました。

震災の影響で敷地の中には入れなかったのですが、すこし遠巻きな位置から状況が伺えます。

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本当に、めっちゃ崩れてるんだな。

あんなに大きな石垣が

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お堀の外側から城を臨みます。
そのまま進んだ私は、衝撃を受けました。

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マジか。
あれ、めっちゃ大きいんだけど。
もはや城壁みたいな存在が壊れていました。


ちょっと、引いた写真の方がわかりやすいかも。

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ああ、熊本は、まだ何も終わってないんだな、と。

復興というフェーズはまだまだこれからなんだな、と思った次第です。

私が気付いたこと

本当にたまたまなのかもしれませんが、以前私が平日来ていた頃より圧倒的に人が少ないです。
そして、日本人がいません。
外国の旅行客ばかりです。
歩いていても日本語が聞こえることはありませんでした。

いや、本当にたまたまなのかもしれません。
でも、日本語が聞こえてこなかったことは事実です。

居た堪れなくなった私は、売店がならぶゾーンに移動しました。

でも、そこにも人はあまりいませんでした。
売店のおばちゃんたちは、さすがに日本語でしたが。

とても複雑な気持ちになった私は、「爆買い」(するほどのお金は無かったんですがそんな気持ちで)しました。
様々なところ向けにお土産を買いました。
そしてコロッケを5個くらい食べました。すいかソーダとやらも買いました。


それから、師匠との待ち合わせ場所に移動しました。

師匠も被災していた

師匠も熊本在住なので、当然被災していました。

メンタルのプロである師匠ですら、2度目の大きな揺れ(本震)の後は、何もする気が起きなくなったとのことでした。

「これではいかん!」と思い直して、自分の家を片付けるのは諦め、ボランティアに参加したそうです。
始めは瓦礫を、後は誰かの家の片付けの手伝いを。

でもそのボランティアの中で、他人と話し合いながら、気持ちをわかちあいながら、自分自身が活力を取り戻していくのを体感されたそうです。
ここには書ききれないくらい、いろんな話を聴かせてもらいました。
(書けそうだったら別記事で書きます。)

嬉しかったのは、僕に会えて嬉しかった、と言ってもらえたこと。
「だって、震災でもなければ来なかったでしょ?」ですって。

帰り道、川沿いの道は通行止めでした。

* 結論:熊本や大分に行こう!

やっぱり、【被災地に行ってお金を使って】というのが私たちに「今」できる支援なのではないでしょうか。
もちろん無理がない範囲で。

でも、忘れないようにすることも大切。

あきらかにお客さんは減っていると思います。
前の記事でも書いたんですけど、お店はお客さんがいなかったら潰れます。

どのお店でもいいと思います。行ってみてはいかがでしょうか。
福岡から熊本まで、ほんの1時間ちょいです。

そして、熊本や大分を足を運んで、現在の状況を見ておくと良いかもしれません。
そして、誰かにそれを伝えるともっと良いかも。

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マジです。

次の休みは、みんなで熊本や大分に行こう~!(爆買い推奨!)

「好き」ということは伝え続ける必要がある。~好きなお店が無くなるということ~

明日、退職する予定です。

「お前が言うな」感が満載ですが、ちょっと書いておきたくて。

(退職話は明後日にでも)

 

”「好き」ということは伝え続ける必要がある。“

中学生や高校生にも必ず知っておいて欲しいこと

アーティストや作家、お店などもそうですし、恋人や恋人未満の相手も同様です。

自分が「好き」だと、思っているだけでは何も伝わりません。行動が大切です。

 

「好き」だったら伝え、支える必要があるんです。

 

↑ この記事、必読です。

 

好きなお店が無くなる理由

お店でもアーティストでも、高齢化という問題は避けては通れませんし、今回のわが社の様に誰かが亡くなることで業務継続が困難ということも、多々ありますし、それは、しょうがない部分もあります。

 

でも、本当に儲かってしょうがないようなところであれば、誰か代わりの人が現れるでしょう。

 

 

私も、今までたくさんのお店を失い、悲しい想いをしてきました。

例えば、ここですね。北九州の人ならわかるはず。


あんなにたくさんのお客さんが毎日来ていたのに、なぜ。

誰か引き継ぐ若手はいなかったのか。

むしろ知っていたら「引き継ぎたい!」という若手がいたのではないか。

 

そこには、ビジネスチャンスがあるかもしれませんね。

「高齢の有名店と、働きたい若者を繋ぐサービス。」

いいかも。

 

私は高校生の時には、CDをレンタルするというのが主流でした。今は、1曲ずつダウンロードしたり、Youtubeで視聴したりしてる人がほとんどかも。

でも、それってどのくらいアーティストにお金が入っているのでしょうか。そこを考えるのも、重要かも。

私が実践している、ファンとして在り方

だから、私は、好きになったお店に関しては、他人にゴリ押ししています。けっこう無理やり連れていくこともあります。「奢るんでついてこい」くらいの勢いです。

そこで喜んでもらえると、私も嬉しい、お店も嬉しい、と、WIN-WINの関係だけでなく、WIN-WIN-WINという素晴らしい関係を築くことができます。私一人の力では限界があります。だからこそ、シェアしていくことが重要になります。

 

それが好きなお店に対する、「感謝」だと思うのです。対価を払うだけではなく。

 

まあ、それくらいの勢いでやらないと、お店は無くなってしまうってことです。


アーティストや、作家に関しては、ただ商品を買えばいいというわけでもないのが難しいところ。

音楽で例に例えると、ライブやカラオケ、ダウンロードなら、その何パーセントかが、印税になるのですが、商品となると別です。

そこは、初版が何部か、というのが大切になります。


その初版がどのくらいになるかという判断は、前の作品の初動が大切です。


発売から始めの週で、どれだけ売れたか、です。ランキングとかそうですよね。ほぼ初週が1番上位ですよね。


結局、どうすればいいかというと本にせよ、音楽にせよ、始めに好きになるのは借りたりで、大丈夫。


でも、あなたがその作品やアーティストに、本当に感謝をしているのなら、


「次の商品を、発売日に予約して、買おう。」ということです。


それが、感謝だと思うんです。

どうですかね 。

 

互いに思いやり、助け合う暮らし。

前回の記事に書いた、カート・ヴォネガットの「これで駄目なら」があまりに心に染み渡るので、追記を。前回の記事はこれ。


この本の良さをさらに伝えたいと考えているのだが・・・。

私が文章的なセンスがもっとあれば、自分の言葉で書いていくのだが、やはりプロには及ぶべくもないということで、帯の言葉を紹介しようと思う。

 

『これで駄目なら ~若い君たちへ 卒業式講演集』レビューその2

まずは、訳者「円城 塔」さんの言葉。

ここに収められた講演で、ヴォネガットは大人になることと、大きなゆるやかな家族関係を築くことを繰り返し主張している。

ただ大人になるのではなく。ちゃんとした大人になることを。

親子二世代だけの暮らしではなく、大きなコミュニティに属し、互いに思いやり、助け合う暮らし。 (『これで駄目なら』訳者あとがきより)

 

私がメンタルや教育の仕事をしていて痛切に思うことのひとつは、「お母さんが背負いすぎているように感じられること」だ。

たくさんのお母さん達が「子どもをしっかり育てよう」と考え、そのためには「自分が良い母親であらねばならない」と考え、自分を押さえつけながら頑張っているように感じられる。

でも、このブログで繰り返し伝えてきたように、子育ての本質はお母さんの笑顔であり、お母さんが笑顔であれば子どもは幸福に育っていく。


「子どもたちの幸福が大切じゃないっていうんなら、他に何があるっていうんだい?」

 

幸せをもちよるコミュニティ

昔は良かった論では無く、これからもそういったコミュニティを作っていくことは可能だろうということ。

子育てはもっとたくさんの大人が関わってやっていけばいい。お母さんだけが背負っていかなくてもいい。

だから私は、自分の街からそのコミュニティを作る一助になりたい。

(どういうことかは、↓ここに書いてあることを参考に)

Big Future From Small World: 北九州 秘密基地で体感した”資本主義の次”の世界=Sharing Society

 

最近の私は、幸せなことに、「互いに思いやり、助け合う暮らし」が少しずつできるようになってきたように思う。

わが社の代表は亡くなり、それに伴い会社も無くなることになり、考えてみると、合計4社目の終わりに付き合っているわけだが、それでも幸せな人生であろうと考えている。(その辺はまた今後詳しく。)

 

ヴォネガットの立ち位置

最終的には、自分が社会に対して、どんな立ち位置をとって生きていくのか、という話だろう。

彼は、人間を愛するということ。その視点が大学生への講演の中にたくさん詰まっている。ヴォネガットは、もともとざっくりSF作家なので、登場人物が厳しい言葉、汚い言葉で語ることも多い。だが、この講演集は作家本人の持つ、とても人間愛にあふれた姿勢に接することができる。

 

最後に、帯の糸井重里さんのキャッチコピー

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買ってしまいますね。ヴォネガットのファンは。 

いまごろ出版されて、よかった。って、まさにその通りで。

さすが。

上手いコピーライターという人達は、芸術家だと思う。

カウンセラーやコンサルタントの役割とはまったく違うわけで。

(その辺も面白い話があるんで、今度書きます。)

 

では、また。