子どもたちの笑顔と、自分の在り方と、感謝。
いつも読んでいただいている方々に、本当に感謝をしています。
ありがとうございます。
前回記事の続きで、自分のダサいところをいろいろ考えていました。
で、いろいろ、恥ずかしながら、嫌な自分に気づくことができました。
そんなダサい自分、嫌な自分にも、たぶんここだけは大丈夫、OKだな、というところがありました。
それは、子どもが好きだということ。我が子だけではなく、たぶん全ての子ども達が。
子どもたちには、全員が幸せになる権利を持っていると信じていますし、笑顔になることができると思います。
もちろん、人間すべて、が幸せになる権利を持っています。
でも、 大人は・・・、
「どんな自分であれ、それは自分が選んだ生き方ですよね。」と私は考えています。
(心理カウンセラーとしては、あるまじき発言、冷たい発言だと思われる方もいらっしゃるかもしれませんが、私はそう考えています。今の自分のままで良ければそれでOKだし、本当に変わろうと思えば、変わることができます。その変わることができるという力を、全ての人が持っていること、それも信じています。)
でも、子どもたちは、まだ生き方を選ぶことはできません。
だからこそ、大人は子どもを幸せにする義務があるとさえ、思います。
では、子どもの幸せって、いったいなんでしょうか。
もちろん、まずは生命が守られるべきです。
そして、暴力からも守られるべきだと思います。
そこは、最低条件です。
じゃあ、その次は・・・、というと、僕は、
”怖さ”から身を守ること、
ではないかと考えます。
人は誰しも、”怖さ”を抱えて生きていることでしょう。
中でも、子どもが持つ”怖さ”というものは、多くの場合、その親に由来するものではないでしょうか。
なぜなら、小さな子ども達は保護者なしには生きていけないからです。
だから、子どもにとっては、お母さんの笑顔を見ることが、一番ほっとするし、一番幸せなのではないかと、私は考えるのです。
(”怖さ”についてはまた別の機会に詳しく書きます。)
そこで、今の自分ですよ。
ダサかったり悩んだりしながら、この一年を過ごしてきました。「自分は本当は何がしたいのだろうか」と考えていました。
考えているうちに、ふと考えました。「僕は、何が不満なのかな・・・?」と。
そう考えると、可愛い子どもも別嬪の嫁さんもいるし、好きなことをメインにしていればそれでOKな職場もあるし、学びの意識の高い受講生さんたちもいるし、塾で生徒たちも触れ合うことができるし、本当に心の奥底からの気持ちを話せる仲間もいるし、少ないけれど友達もいるし、素晴らしい人たちと出会える場所もあるし、新しいことを日々学ぶ環境もあるし・・・、
それで、良くない?不満・・・、無くね?
むしろ、感謝しかないよね。
と、気付いたら、「あ、僕はただ子ども達を幸せにしたいだけなんだ」と思ったわけです。
なるほど、
だから、子どもたちを笑顔にするために、お母さんたちの心のケアをする人たちが増えてほしくて、心理カウンセラーを養成するスクールで働き、心理カウンセラーを増やそうとしているのか。
(自分一人でできることには限界がありますからね。仲間は多いほうがいい。)
なるほど、
だから、塾で再び講師をするようになったのも、直接子どもたちの笑顔に触れたかったからなんだ。この部分では、僕にしかできないことがきっとあると思うし。
なるほど、
だから、本当の自分の幸せとはなんだろう、ということを中学生に向けてブログで書き続けているのか。高校に入学することは、人生の目標じゃない。でも、何かを達成しようとしている姿は、全力で応援したいと思う。
なんだ、
自分は何もこの世界に対してできていないような気がしていたけれども、できてることもあるじゃん。
と思って、すご~く、腑に落ちました。
じゃあ、次は、世界中の子どもたちを笑顔にするような、新しいイノベーションを探しにいこうかな、と。それを世の中に広めるのが、きっと僕の役目。
良かった。
わかって。