修行を続けよう
半年ぶりくらいに、はてなブログに戻ってきました。1年に1度くらいしか更新していないのに、それなりに読んでいただいているみたいで、ありがたい限りです。
以前書いた、受験前の記事が読まれているようです。誰かがシェアしてくれたのかな。
更新しないと広告が表示されてしまうので、読んでくれている方のためにも更新しないとですね。
Twitterばかりやってて、短い言葉に甘えててもダメだなと思いますしね。Twitterはここでやってます。
で、はてなに来たのにはわけがありまして。
最近、答えが簡単には見つからないことを説明しなければならない場が多くなりました。例えば「防災×地域」「スポーツ×SDGs」「アートとは」「北九州における歴史と文化」「行政文章をイラストに起こす」ような。
2月頭までは、講座や案件が詰まっていてバタバタしていたのもあって、思考がフワフワしているというか、地に足がついてない感覚がずっとあったんですよ。
昨年の9月にこんな記事を書いてたんですけど、、この後、10月中旬に熱が2週間くらい下がらなくて、入院していたりもしました。今だったらコロナだって言われてただろうな。地元の公民館長をしていたりもして、キャパオーバーでした。本も読めず、映画も観れずでした。厄年だったしですね。
2月に入ると、前述のような「考えて説明する」仕事が多くなってきまして。雑にごまかすこともできる気もしますが、自分の中で腑に落ちた自分の言葉で伝えることができなければクオリティが落ちるんですよ。今までは、やっていきながら感覚として会得してきたんですが、もうそういう歳でもないですからね。
とはいえ、毎日、毎日多くの人と会話をする機会があって、自分の中で新しい言葉や考え方が渦巻いているのもわかるんです。
そんなことを考えていたら、ふと気づいたんです。
自分の中で答えが出たことじゃなく、わからないものをわからないまま、そのわからないままを書いた言葉を残しておく場所が必要だ、って。その過程を文字に残すことで、思考が整理できればいい。できなくても、その過程は誰かにとっては面白いものになるかもしれないという、淡い期待も込めつつ。
もともと、修行として始めたこのブログです。毎日1,000字を200日続けるのが目的だったので、また修行を再開するには良いのかなと思っています。
刺激を受けたというものある
それから、詩太さんという人の個展に行ったんですよね。なんだか話したり、一緒に仕事をする機会もあって、もう5年くらいずっと絵や詩を見続けています。それで、今日見たらかなり変化をしていたというか、シンプルで優しくなっていた感じがしたんですよね。今までも優しかったんですけど。もっと本当の詩太さんが持っている優しさがでてきたような感じがしたんです。
感想を伝えると、それでも「まだまだ自分は全然だ」という話をするんですよね。そうだよなって。僕も「まだまだ自分は全然」だなあと。そこからもいろんな話をして、「ちょっとずつ成長するしかないんですよね」という結論で終わったんです。そうだよなって。やっていくしかないんですよね。
僕の強みは、シンプルに説明できることだと思うので、修行を続けるしかないなと。やっぱり書いていくしかないなと。ある程度まとまったらnoteの方に書こうと思いますが、思考の過程はここに書くつもりです。ただの日記ですけどね。
コロナの影響で、関係するイベントなども中止になってきています。こんな時だからこそ、自分の整理に時間を使いたいと考えています。やっていきたいと思います。
追伸:noteはこんな感じでたまに書いてます。この記事を見た人から講座を頼まれたのは嬉しかったですね。