創業機運醸成という言葉について、個人の立場から思うこと
創業機運醸成という言葉について
このブログでもちょくちょく書いていますが、僕は創生塾というところで事務局兼講師をしています。
コワーキングスペース秘密基地に集まるフリーランス同士が自分の体験や知恵を共有することで、新しい生き方や新しいビジネスにつなげるためのセミナーと言ったところです。
ビジネスセミナーでありながら、スキルよりも「在り方」を重視した内容のため、今、困っている人に対しての内容というより「何となく新しい人生を始めたい人」が対象という感じです。
その中でも、最近は「創業機運の醸成」というポジションで話をすることが多くなりました。
今までの日本は創業率(創業したいと考えた人に対して、実際に創業した人の割合)は、世界各国とあまり変わらないのですが、創業「者」は少ないのです。それは、そもそも「創業したいと考える人」が少ないという問題点があるからです。
僕もこんな人生でなければフリーランスの道を選んだりしていないのです。正社員であれば、会社に通うだけで、教育してもらうことができ、月額の給料が保証され、よっぽどのことがなければクビになることもないのです。会社に勤めていた頃がいろいろと懐かしい。
しかし、国として生産性を上げていくにはフリーランスや起業家の増加は必須と言えるでしょう。
企業側から見れば働き方改革なんて、社員をある意味(度合いは段階的かもだけど)リストラして、フリーランス下請けとして使う話に過ぎません。
あとは高齢者を働かせる話だったりするのかもしれないんですけど、僕らはそれよりもポジティブな文脈で語ることができるのです。
創業のメリット。それは、収入の軸が複数あること
僕は4年で4つの会社が無くなるという(親会社から切られる、社長の自己破産、買収、代表の死去)体験をしたせいか、ひとつの会社に属して生きることの厳しさを体験しました。
その厳しさは、その瞬間に収入が無くなるということだけではありません。
僕を信じてわが社の商品を購入してくれていた人たちに仁義を通すという、とてもとても面倒な作業がそこにはあるのです。
「すみません、会社無くなってしまったので、すみません。何も保証できるものはありません。」って言ってしまえばよかったのでしょうが、それは僕が僕で無くなってしまうことだったので、つい、後始末してしまいました。それはとても厳しい状況でした。
今は少ないながらも、自分が働ける状況でさえあれば、どんな形でも飯を食っていくことができると思っています。それは本当にメリットだと言えるのです。収入はたいしてないんですけど。創業は悪くないです。
創業のメリット。それは、時間が自由になるということ
最近、西日本は豪雨に見舞われました。豪雨の朝、我が家ではうちの奥さんと言い合いになりました。
学校から休みの連絡が来ていないので学校に行かせるというのです。もちろん車で送っていくことを想定したのでしょうが、小さな子どもが豪雨の中出かけることになんの意味があるというのでしょうか。
でも、うちの奥さんは正社員として働いており、じゃあ誰が休んで面倒を見るというのか、という話になります。そんなときこそ、フリーランスの出番です。
フリーランスの僕は前日に、打ち合わせ予定だった得意先に延期を申し入れていたのです。子どもの命より大切な打ち合わせなど無いのです。
理由があっても会社に行けなければ、信用を失うようなところもあるかもしれません。しかしフリーランスが事前に連絡して打ち合わせを延期することで、信用を失うようなことはありません。創業はなかなか良いです。
では、創業機運醸成とは何か。
今まで書いたのは、創業の現実的な良さにすぎません。創業したいと考える人の背中を押すことはあっても、考えてもいない人の心に創業という選択肢を植えることは難しいと言えるのではないでしょう。
うちの奥さんにフリーランスの良さを語ったところで「何言ってんの?早く金持って帰ってこいよ」と罵られるだけにすぎません。創業の機運を醸成しているどころか、ネガティブなイメージさえ与える話かもしれませんね。
とはいえ、個人の立ち位置からだと、できることはこんなことくらいかもしれません。やはり創業機運を醸成するとなると、社会としての取り組みが大切になってきます。
しかし、本題に行くまでが長くなってしまったので、 次回、「創業機運について、社会の視点から真面目に考える」を書く予定です。
※関連リンク
創生塾HP