なんか未来が良くなると思う、ひとりごと
何かしらメンタルでプロとして飯を食ってる身として、人に自分の意見を押し付けたり、アドバイスしたりすることは、あまり良くないことだと思ってきた。
でも、最近、別にそれもいいんじゃないかと思うようになってきた。
そのへんは、あくまで手法の問題で、相手と自分を認めることができていないことが、むしろ課題だった。自分を愛することができていないのに、相手を愛することはできないという、今思えば、わりかし当たり前のことを知らなかっただけなのだ。他人のせいにするようでバツが悪いのだけれど、カウンセリングの学校では教えてもらわなかった。そして、もちろん自分に自信があるのかと言われればそうではない。自分を認めているわけでもない。
人のことを愛することはできるようになってきたかもしれない。でも他人に対して自信をもって接したり、他人を認めることができているわけでもない。とりあえず、たぶん、まだ今は。
自分の意見を言うことってとても大切だった。
「かもしれない」とか「私は、思う」なんて言葉は、ただの逃げでしかない場合も多くて、自分の立ち位置をはっきり宣言することとは大きく違う。自分の中の「こうあるべきだ!」という部分を、自らが選んだことが認識できてさえいれば、むしろ大きく宣言すべきことだろう。
話がほんのりずれるけど、Facebookで創生塾のイベントをシェアしたときに書いた、『本当は誰かがやったほうがいいけど、行政も民間もできてない部分がたくさんあると思うのです。』ってことはマジだと思ってて。
自分の立ち位置をはっきり宣言すると、その誰も手を付けていないゾーンに対して手を挙げることになるのではないか。誰だって心の奥底では「良くしたい」という思いを持ってる筈だから。
例えば僕は「教育を変えたい。そしたらなんか未来が良くなる気がする。うちの息子も幸せに生きれるような気がする。」といったふわっとした宣言だけして生きているのだが、その宣言だけでなんとなくつながりが増えてきたことを実感しているし。
ちなみに、そのシェアした『公と私』北九州創生塾の講座はこちら。
メンタルの使い方を伝えるプロ
そこにはメンタルのプロである必要なんてほとんどないんだよね。その意味で、カウンセラーとかメンタルトレーナーみたいな言葉はもう必要ないと思ってる。むしろ、メンタルのうまい使い方を伝えるプロ、くらいの立ち位置でいい感覚がある。これなら割と自信ある。中学生で結果を出してきているから。
実際のところ、じっくりオウム返しだけで傾聴するよりも、ぐっと深いところに手を入れたり、ダメなところはダメだと伝えたほうが、僕に話に来た人もその場はキツイかもしれないが、結局のところ本来の自分らしく生きていくような感じがある。(もちろん全ての人にそうするというわけではない。)
お金も貰わずに一回である程度いってしまうと自分のリピート顧客が減るという話もあるが、カウンセリングなんかに常態的にお金使わなくていいと思っているので、たぶん僕はそれでいいのだろう。その人たちと仲間としてチームになっていきたいし、別の仕事を一緒にしていきたいと思う。カウンセラーとして関わってしまうと、その後関われなくなってしまう感覚があって、それはとても悲しいことだったりするし。
(6歳になった息子が撮影した鯉のぼり。もう父より上手だなあ。)
あとがき
というわけで、メンタルのうまい使い方を伝えるプロってことで、【メンタルコンサルタント】って割といい言葉だったなと思う。全心連と経産省が作ったやつ。【メンタルコンサル中川】とでも名乗ろうかな。語呂がいいので。コンビ名みたいだよね。
というようなことを、GW中、だらだら考えていたのでこちらのブログを更新してみました。子どもが3日に熱出してから大変だったんですよ~。休日診療病院で5時間かかったりして~(涙)と、誰に言うわけでもなく、言い訳。(了)