読書『低地』(ジュンパ・ラヒリ) 物語に流れる悲しさ。我々の持つ家族への悲しさ。
ここ数日、この本を読んでいる間はほとんど他のことを考えませんでした。
読み終わってからも、自分の感情を整理するのに時間がかかりました。
他のことをブログに書くような余裕が無かったです。
朝、電車の中で涙が溢れるくらい、深いところで感情を揺さぶられた物語でした。
悲しみも、怒りも、怖さも、そこには存在し、
でも、決してその感情たちを爆発させるわけではなく、ゆっくりと私の心の中に、じわじわと入りこんでくるようでした。
それはあたかも、
温泉に入った後も、そのぽかぽかが残っているかのようで、
昔の恋人と聞いていた曲が街の中で聞こえると、ふと思い出してしまうかのようで、
いつまでも忘れることのなく目に浮かぶ青空のようで。
もうこの物語はずっと私の中に残っていくんだろうな、そんな実感を持っています。
読んだ人が、心の中にしまっておいた感情に、そっと気づくことができる。
そんな物語でした。
ジュンパ・ラヒリは、ベンガル人で幼少期にアメリカへ移住し、小説家になった人ですね。ですので、小説の内容も、その体験が基になったものがほとんどです。
では、どんな話かというと、
(帯や裏表紙に書いてあるくらいにしておきますね)
①仲良く育った年子の兄弟
②弟は革命の中で殺される
③残された身重の妻を連れて兄はアメリカに
④その妻は、その子どもと兄を残して家を出る
⑤そして・・・・
って感じです。
おそらく、この世界に住む人すべてが、家族への何かしらの感情を持っていることは否定できないことだと思います。
その家族という関係性の中にある感情に、ラヒリは「あなたはどんな気持ち?」と、問いかけてくれるようです。
「今、あなたは、嬉しい? それとも、悲しい?」って。
だから、私にとって読了するまでは、
嬉しさはさらに倍増され、悲しさもさらに倍増され、
と、そんな時間だったのです。
今、我が子とともに暮らすことができていることについての、喜びと感謝。
今まで亡くしてきた父・母・祖父・祖母たちへの、悲しみ。
そして、おそらくは、
誰しもがいつかは許されるということ。
もちろん、家族関係の話だけではありません。
「正義」とは?そのためにどこまでのことが許されるのか?
家族と正義と。どちらが大切なのか?
そんなことも、考えさせられる本でした。
もしこのブログを読んで、『低地』を読んでみようと思われた方がひとりでもいらっしゃると嬉しいのです。
きっと忘れていた何かを、思い出すことができますよ。
私にとって、これからも、新作を待ち望んで生きていく作家のひとりになったことは間違いありません。他には、カズオ・イシグロやポール・オースターもそうですね。
以前にも、ラヒリの本を紹介しました。この時は読み終えてすぐ、書いたんですね。また違った衝撃でしたね。
ラヒリをはじめて読む人は『その名にちなんで』や、
短編集の『停電の夜に』や『見知らぬ場所』から読むのも良いかもしれません。
はやく次の新刊がでないかな~~。