「歴史」を学ぶ意味と、安保法制について
心理カウンセラーが、中学生の「なんで勉強しないといけないの?」という声に答えるこのシリーズ。
前回の記事で、安保法制と安倍談話について少し触れました。
この記事の補足です。あまり政治的なカテゴリーには触れないようにしていますが、そもそも論ということでご容赦ください。そもそも論として、この記事に共感しました!という話です。そもそも議論されてないよねっていう立ち位置ですね。
安全保障政策の選択を間違えれば、その国の安全は崩れてしまい、国民の生命を守ることはできない。(中略)経済政策を一つ間違えても国が滅びることはあまりない。しかしながら、安全保障政策の一つの誤りが、国家の存亡に直結した例は溢れている。74年前に日本は、安全保障政策の選択を間違えて、平和を破壊し、膨大な数の国民の生命を奪い、またアジア太平洋地域に破滅的な惨状をもたらした。これほどまで重要な安全保障政策について、これほどまで語られることがないというのは、どういうことなのだろうか。(下記リンク記事より)
そうなんですよね。知らなさすぎるんですよね。中学生だけでなく大人も。
”怖い”という感情だけが表に出てきている気がするんです。
ですので、心理カウンセラーとして、その”怖さ”を考えていきたいと思います。
我々は、”怖さ”というものを自然な感情として持っています。
我々が抱えている、「矛盾」や「思い込み」の大半は、”怖さ”が原因だと思います。
その”怖さ”は大切にしてほしいものです。
その”怖さ”の根源は、”死にたくない”というものだと考えています。
○親から見放されると
○ご飯が食べれないと
○水が無いと
”死ぬかもしれない”。
だから”死にたくない”。怖い。
そうですよね、それが人間の根源的な感情だと思います。
その中に、
○戦争に行くと
死ぬかもしれないから”怖い”、という論点もあると思います。
その通りです。私もそうですし、世界中の大多数の人がそうだと思います。
(でも、わが子が死ぬくらいなら、自分が犠牲になった方が良いと考える大人がたくさんいるのも、また事実です。)
じゃあ、その、
○戦争に行く
という前提をどこに持つのか、という話になるのではないでしょうか。
その前提となる選択肢が、
○日本は戦争をしないと世界に宣言し、専守防衛に徹する
ことなのか、
○世界のパワーバランスに配慮し、戦争が起きないように調整する
ことなのか。
ということだと私自身は考えています。
それは、どちらも”怖さ”が元になっている議論ですよね。根っこの部分は同じです。あとは、技術的で、現実的な話になると思うのです。その上で判断するのは自由ですよね。
その判断は、「”歴史”を学び」あなたが判断してほしいことです。
そして、多様な意見が日本に溢れれば素晴らしいですよね。
だから、あなたに「歴史を学んで」欲しいと。心から思うのです。本当に。
というわけで、以下の本を、オススメします。