自分の棚卸し① 「塾を辞める」の巻
7月1日に機密文章を処理して、本当の意味で会社を片付けた気がしました。
キツイ日々だったのですが、とても楽になった気がしました。
そして、7月2日に北九州創生塾というところで、マーケティングの1日講座に参加しました。
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そこで、宿題として出されたのが、自分自身のパーソナルストーリーを作るということ。できるだけ詳しく書けと、A4に3枚は書けと、厳しく言われたので、頑張って書くことにしました。で、講師の先生が何度も添削してくれて、自分のパーソナルストーリーができる手はずになっています。
というわけで、ここでは、その手直しされる前の、ぐだぐだの自分自身の話を、何回かに分けてアップしたいと思います。ある意味、自分自身が受けてきたカウンセリングのストーリーそのものです。
というわけで、自分の話。
第1章。「塾を辞める」の巻
「頑張っているのに・・・うちの子は試験で結果が出ないんですよね・・・」
私が中学生向けの学習塾で教室長をしていたとき良く聴いた、お母さんたちのセリフです。今まで中学生をトータルで1000人くらい指導してきましたが、私自身の一番の悩みでもありました。すごくすごく頑張っていたのに、「試験の当日に熱を出したり」「部活の試合前にケガをしたり」「本番前にやる気を急になくしたり」、そんな生徒たちがたくさんいました。
中でも、ひとり、絶対に合格するだろうと確信していた生徒が不合格になった時、私は「このまま塾講師として続けても、同じことを繰り返すだけだな。不合格にさせてしまうだけだな」と思い、塾を辞めることにしました。
いろいろどうしたら良いのか迷った結果、心理カウンセラー養成スクールで働きながら心について学ぶことにしました。営業や事務処理しながらコミュニケーション心理学や自分の幼少期の課題に触れる心理カウンセリングを学んでいく中で、私は自分自身の課題に気づいていきました。
まずおかしいな?と気づいたのは、小さな我が子を見ているときでした。息子はとても可愛く、目に入れても痛くないという意味をかみしめている所でした。しかし、なぜか可愛いと思うたびに、何かいいようのない寂しい気持ちになるのです。夕暮れ、だんだんと暗くなっていくような物悲しさが私を包むのです。
学びながら自分を見つめていく作業の中で私は気づかされました。これは親を亡くした悲しみなんだと。私は20代の頃に両親の無くしているのですが、長男だったこともあり、とても大変でした。忙しさにかまけて悲しめていなかったんだと。初めてそれに気づいた日、私は泣きました。もう両親を亡くして10年以上経っていたにもかかわらずたくさん泣きました。
帰り道、空を見上げると、何か世界が明るくなったように感じました。世界が輝いているように見えたのを強く思い出します。
そして、家に帰り息子を胸に抱いたとき、その寂しさは消えていました。我が子はとても生命力に溢れ、強く愛されるために生まれてきた存在であると感じました。もしかすると、本当に子どもを愛せるようになったのは、この時かもしれません。そして、その時息子に感じたことは、自分に感じていたのかもしれない、とも、思います。
(続く)