心理カウンセラーの皆さんに聞きたい「A」の意味~交流分析③
前回の記事までで、受験テクニックとしての「自我状態by交流分析」について書いてきましたが、今日はちょっと心理カウンセラー向けの話を書きますね。はっきり言って愚痴です。
それは、自我状態の「A」という考え方についてです。
wikiには以下のように書いています。
A(Adult):これは、「今-ここ」でどのようなことが起きているのかについて人々が行動し、感じ、冷静に思考する状態。この状態では、長年生きてきた大人としての人間の経験、知識が活かされ、人を行動させる。このA(Adult)の自我状態では、自身は、現実における客観的な評価の対象として見られる。
[A」については、
客観的で冷静でコンピュータのような自我だと教えている所も多い気がします。
でも、それって本当に「A」なんでしょうか。
wikiには
「今-ここ」でどのようなことが起きているのかについて人々が行動し、感じ、冷静に思考する状態。
と書いてありますし、個人的にはすごくこの通りだと思うのです。
コンピュータのようには、「今ここ」じゃなくね、という話です。
もちろん私も、まだまだ、まだまだ修行中です!
ということだけは先にお伝えしておきますね。
ここは、すごく大事なところで、心理カウンセリングの現場で最も大切なポイントだと思います。ただ、現実的には世の中でカウンセラーと名乗っている人たちに「今ここ」にいる人が、それほど多くないような気がしているのも事実です。
あくまで、カウンセリングの際には「今ここ」の意味での「A」が必要なのであって
”コンピュータのような”視点が必要なわけではないと思うのです。
そして、メンタルを扱うプロには、ある程度、いつも「今ここ」であることが求められているのではないでしょうか。
「今ここ」は、「在り方」や「生き方」のスタンスの問題であり、カウンセリングの現場のみ「A」になるというのは、少々違うのではないかと考えています。
批判も多そうな話ですし、簡単ではないことだというのもわかっています。
しかし、
「より”今ここ”で在りたい」
という気持ちを失ってしまったらそれはカウンセラーとは言えなくなるのではないでしょうか。
学んだ知識に囚われていませんか。
「どうせ私の脚本は〇〇だから、~~できないんだよね」
と言ってしまっていませんか。(ちょっと前までの僕ですね。)
それ、ただの言い訳ですからね。
自分の問題を「親に押し付けている」だけに思えてしょうがありません。
だから、自分はダサいと思ったわけです。
こんな記事も書きましたね。
心理カウンセラーじゃないなら、メンタルを扱う仕事をしないなら、全然OKです。でも、プロとして活躍している人の中に、わりと有名な方々ですら、「今ここ」にいるとは思えない時があります。
簡単ではないかもしれない「今ここ」
私たちは日常、様々なものに囚われています。
過去の経験からくる不安。
わからない未来に対する恐れ。
そんなものに囚われて、「今」を感じることを疎かにしている。
そこを外していくには、自分を「観察」することがとても大切で。
自然な(本物の)感情を体験するとき、私たちはFC(NC)の自我状態だと教えられてきました。もちろんそれはその通りです。
でも、心理カウンセラーは、あくまで「クライエントさんの鏡」です。自分自身がクリアであればあるほど、相手に「気づき」が多くなる。
それは、業界の人であれば、誰もが知っていることだと思います。
でも、その言葉の意味を、初めの段階で間違って教えられていたら?
それは、残念なことじゃないでしょうか。
始めに習う時にはわからないかもしれない。
でも、きちんと、書いてあることが重要なんですよ。
wikiには書いてありますからね。(しつこいようですが)
A(Adult):これは、「今-ここ」でどのようなことが起きているのかについて人々が行動し、感じ、冷静に思考する状態。
どうしても、書きたかったので、愚痴っぽい内容です。
それでも、一番大切なところだと思います。
自分に対する戒めのために、書きました。
やっぱり自分のことしか考えてなかったです。
「今ここ」でこの内容が正しいのかどうか。
問い続ける必要がありますね。
ご了承くださいませ。
じゃあ、この記事って「A」なの?という話になりますが、
まったくそんなことありません。
悔しい気持ちとともに、反省しつつ、アップさせていただく所存です。
風邪ひいたら、「A」でいるのは難しいですね(^o^)