ローカルフリーランス日記

北九州地方に住むフリーランス。話を聴く人。イベント作り。創業機運醸成、防災、街づくり、引きこもり支援、博物館、フードイベント、句会、古代史研究会など。昔のことは→ https://works.toiroha.jp/500

雑記20151104

今日はいろいろ考えさせられたので、反省を込めて、ここに書かせてください。愚痴みたいなもんです。

 

今日、とあるセミナーに行ってきました。

ざっくり言えば、自己啓発系なんだろうけど・・・。

 

で、ズバッとでてきたのは、

「家族への感謝が足りなかったな」ということ。特に嫁さんに、ですね。たぶん、我が子に対しては、ある程度できていたんだと思いますが、嫁さんにはできてなかったですね。

 

家に帰って、「君も好きに生きたらええにゃで~」と言ったら、「何をいまさら!」と怒られたわけです。

 

そこからいろいろ考えました。

そしたら出てきたのは、「親的な立ち位置を嫁に求めて甘えている自分」がそもそもの原因でした。

うちはけっこう早くに両親を亡くしているので・・・というのは言い訳くさい感じでかっこ悪いのですが、やっぱりそういう甘えみたいなものが自分にあるんだなと、再確認した次第です。

 

「いいじゃん、甘えても」という意見もありそうですが、親とパートナーは違いますよね。我が子なら許せることも、パートナーでは許せないことが多々ありますよね。パートナーだから、役割は分担してあたりまえですよね。現状はできてないです。

 

「自分らしく好きに生きる」ことは、欲求のままにただ生きるのとも、話は違います。「なりたい自分になるために、活動し続ける」ことが大切なわけで。そしたら、なりたい自分の方向には、「我が子の面倒をもっとみたい!」と思う自分もいるし、「嫁さんに好きに生きてほしい」と思う自分もいます。頭ではわかっていても、行動できていないのです。

 

じゃあ、嫁さんの人生の目的ってなんだろう、と考えたのですが、けっこう考えたのですが、一切わかりませんでした。もう10年くらい一緒にいるのに、知らないんですよね。もちろん、僕自身も自分自身の目的についてわかってないところも多いし、嫁さんもそんなこと考えてもないのかもしれないし。でも、今、僕が知らないことは事実なんですよね。愕然としますよね。たぶん、言いにくいけど、知ろうともしてなかったんですよね。何がカウンセラーかって話です。

家族のカウンセリングはできない?

そんなのただの言い訳です。クライエントさんのことを「愛しているかのように興味を持って聴く」というのは傾聴の中でよく言われることなのですが、(本当に愛していたら、相手のことをもっともっと知りたいと思いますよね。その時自分のことを伝えるために話したい!というより、知りたいから聴きますよね。それが傾聴なんです。)自分は自分が愛している人にできていないんです。

 

気付いたら、行動。まずは、声掛け。

直接言っても入らないかもなので、行動でも示すことにする。

とりあえず、子どもの保育園は僕が連れて行く。 

朝、子どもと同じ時間に起きて、一緒に活動を始める。 

ということは、早く寝る。仕事を言い訳にしない。

 

とりあえず、ここから。

夜中にブログ書いてる場合じゃねえ(笑)

 

追記:

で、セミナーで、「なりたい自分」について考えた時、一個思い出しました。絶対無理だと思っているので、記憶の奥の方に置いていたのですが、僕は『カラマーゾフの兄弟』の続き(的なもの)を書きたいと思ってたんですよね。絶対に叶わなさそうな夢でも書いたら変わるらしいので、書いてみました。とても恥ずかしいんですけど。