ローカルフリーランス日記

北九州地方に住むフリーランス。話を聴く人。イベント作り。創業機運醸成、防災、街づくり、引きこもり支援、博物館、フードイベント、句会、古代史研究会など。昔のことは→ https://works.toiroha.jp/500

自分のダサいところを直視してみます

 前回の記事に、こんなこと書きました。

ひとしきり、それらしいことを書いたのですが・・・、

 

そんな僕の現在地は「自分の話を聴いてもらいたい」欲求ですもんね。

げに恐ろしきかな、承認欲求ですね。

 

なんとダサいのでしょうか。

さらにそんな自分をネタにして記事を書こうなんて、一周回って更にダサいですよね。

 

でも、やらねばならない日もある、ということで。
自分の”思い込み”や”あきらめ”、そして”怖さ”と対決していきましょう。

要は、なんでダサい、の?って話です。結局は自分に言い訳する理由にしているだけなんですよね。

 

たぶん、日ごろ、自己肯定感が重要!と偉そうなことを言っていますが、「めっちゃ低いやん、お前」ってなりますね。

 

〇服装がダサい
これは小学生の頃から思っていることですね。服装的なコンプレックスはかなりあると思います。今は「別にどっちでもいいんじゃない」と表向き言っていますし、変える気もさらさらないのですが、福岡市大名付近(おしゃれな街)を歩くときは気後れします。ダサっ。
→では、なぜ「服装に気を使わなければならないか」と考えてみると、それはモテるためですよね。(ここも決めつけ)で、今までモテたことはないんですけど、わりと常に特定の人がいました。じゃ「服装と彼女ができることは関係ない」ってことなんですかね?いやでも、服装がダサいのは良くないと思う。でもちゃんとする気はないです。(あきらめ)
ではどこに”怖さ”があるのかって言うと、小学生の頃の「服装がダサいからモテなくてもしょうがない」からの「モテない自分には価値がない」・・・うんうんこの辺。

 

〇文章がダサい
これは最近の感覚ですね。小~高まではわりと国語の成績は良かったのですが、文章を書こうと、思ったことも無かったですね。そういえば。大学に入ってからですよ。大学で映画を作るサークルに入り映画の脚本を書こうとか思っていた頃ですよ。当時村上春樹先生にハマっており、超影響されながら書いていたのを思い出します。(これは恥ずかしい。)あ、でも、映画にしたものはわりと気に入っています。むしろ最近ですよ。書き直すのも恥ずかしいのですが、このブログの前半の記事は、ダサいです。やたら改行が多かったり、やたら上から目線だったり。そもそも読みにくいです。(上から目線は今もそのままな気もしますが)(これって思い込み?)
→最近、文章を褒めていただけることもそれなりにありました。が、納得いっていないというレベルではなく・・・。じゃあ納得いく文章ってどこなんだと考えた時には、ジョン・アーヴィングだったり、フィッツジェラルドだったりを想像するわけですよ。それって、小学生がメッシと比べて自分は・・・、って言っているのと同じですよね。ダサっ。だからそもそも「自分が文章で褒められるはずがない」(決めつけ)と思っているので、誰かに褒めていただいてもあんまりしっくりこないんですよね。でもいつか書けるようになると勝手に考えている自分もいたり。過度の一般化?ですかね。(前回の記事を読み返せ!と自分に言ってあげたいですね。)

じゃあ”怖さ”がどこかって言うと、文章を書くことは好きなので、文章を否定されると「自分に価値がないような気がする」ところか。ちょっと掘り下げが甘い気もします。


ちなみに・・・、自分にとって良いものはパッとわかるんですけど、その途中の段階があんまりわからないんですね、自分。良いか、そうでないかだけ。(これは新しい気づき。よし。)

 

結構ダメージあるけど、面白い。続けてみようっと。

 つーか、ダサいって言葉がすでにダサいっすよね。

でも、なんか、格好悪いだと、しっくりこないんですよね。