「やるつもり」だったけど「やらなかった」、そのポジティブな意図に気づいて楽になる。
「勉強しようと思ったのに、できなかった・・・。」「あの仕事終わらせときたかったのに、間に合わなかった・・・。」
そんな時、皆さんにもありませんか?
皆さんは、なぜ「行動しなかったのか?」を自分に聞いてみてください。そのとき、自分を責めるのではなく、ポジティブな、肯定的な理由を探してみてください。そこから自分を見つめることができるかもしれません。
という話です。
先日ビジネス系で朝から120名くらい集まる異業種交流会に参加し体力と精神力を大幅に消費した結果、疲れてブログを休んでいたYAPPYです。
本当は私、人見知りなんですよね。
そして、ずっとたまっていた仕事をいくつか片付けました。
それと、新しい取り組みやイベントなどもスタートしました。
そんな毎日です。
実は、私にとって、初めに書いた異業種交流会と、たまっていた仕事、新しい取り組みには、全部根っこは同じなんです。
その根っことは、「自分の責任で全て行動することの怖さ」でした。そしてその怖さから自分を守ろうとしていた自分自身に気づくことができました。それはとても“ポジティブ“な意図でした。だって簡単ではないですよね、自分で何でもやろうとすることは。
自分自身では意識できていないのに、自分自身は意識せず自分を守ってくれているんです。凄いんです。自分の体って。
皆さんにも、表向きは違うけれど、根っこでは同じようなことが、奥の方で隠されているのかも・・・しれませんよ。
この私の事例から考えていくのは簡単ではないかもしれませんが・・・。その考え方のヒントです。もちろん、もしかしたら・・・の部分は、全部私の創作です。ご了承ください。
まず「全てのことには“ポジティブ”な理由がある」と考えてみましょう。
仕事したほうがいいと思っていたのに、手を付けなかった理由。アイディアはあるけど行動できなかったのにふと取り組めた理由。いろいろなところに、ポジティブな理由を探ることができます
もしかしたら、その仕事を片付けることで誰かとの関わりが無くなるかもしれません。仕事には対人関係が紐ついていることがほとんどです。ということはそのプロジェクトが終了に向かうと、それは別れの始まりかもしれません。それは寂しいですよね。
勉強したほうが良いと思っていたのに、できなかった理由。
それはもしかしたら、「できない自分を良しとしている」からかもしれません。もっと言うと「勉強しなかったから、私はできなかったんだ。」という考えに守られているのかも。だって、「頑張って取り組んだのに結果がでなかった自分」に気づくのは悲しいですよね。
寂しさや悲しみは一見ネガティブに感じますが、あなたの体は、あなたがその寂しさや悲しみに向かわないようにしてくれていたのかもしれません。自分を守る。それが“ポジティブな意図”。そこに気づくことができると、
「じゃあ自分はなんでプロジェクトの終わりを“寂しさ”と捉えているのだろうか?それは本当に寂しいことなのだろうか?」「自分はなんで頑張ったのに結果がでないことが、本当に悲しいことなのだろうか」という疑問に触れ、その結果、驚くような「気づき」に辿り着くことができるかもしれません。
それは、「プロジェクトが終わっても、繋がりたい人とは繋がることができる」「目の前の勉強で結果がでなくても、自分の人生には関係ない」って気づくことかも。
その「気づき」はあなたを、とっても楽にするものかもしれません。
少なくとも、私は、その「気づき」で楽になることを知っています。
あなたにも楽になってもらえたら、こんなに嬉しいことはありません。