ローカルフリーランス日記

北九州地方に住むフリーランス。話を聴く人。イベント作り。創業機運醸成、防災、街づくり、引きこもり支援、博物館、フードイベント、句会、古代史研究会など。昔のことは→ https://works.toiroha.jp/500

いじめについて(自分の体験談と、その心理学的アプローチ)

私は、

我が子がいじめられた時に、そのことを話してくれる父親でありたいと思い、心理カウンセラーの学びをしてきたような気がします。

そして我が子じゃなくても、そのことを話してくれる講師でありたいと思い、塾講師として働いてきたような気がします。

 

私自身は、言えない子でした。

いじめの定義は難しいのですが、小学一年生の登校初日に皆から置いていかれたり、転校初日に胸倉つかまれて脅されたり、囲まれて殴られたりズボンを脱がされたり、そういったものをいじめと呼んでいいのなら、私はいじめられっこだった時代が結構あると思います。

 

でも、親には言いたくありませんでした。親には絶対にばれたくありませんでした。

 

それはなぜか。・・・たぶん、怖かったからです。

 

いじめっこが?親が?先生が?

いいえ。そうではありません。

 

私にとって、怖かったのは、

「いじめられる」→「親から愛されなくなる」

という感覚。

わかりにくいですよね。 

 

極端に言えば、

「親から愛されなくなると自分は生きていけない」という恐怖です。

 

おそらく、小1のときにはすでに、

「置いていかれていること」を母親に言っても、

「助けてくれない」「振り向いてくれない」「むしろ怒られる」

という感覚がありました。

 

だから、「言わない」ことを決めていたのだと思うのです。

 

この「どうせ助けてくれない」という感覚は、自分の存在そのものにかかわる、重要な恐怖です。親(的な誰か)がいないと、子どもは生きていけませんから。

 

(けっこうさらっと書いていますが、今だから、何度も自分を見つめてきたから、言語化できているだけです。言語化できたのも、本当にごく最近のことです。)

 

 

結局自分には、

いじめっこに対する怒りなどは、ほとんど無くって、

親から愛されなくなるかもしれないという怖さ、があるだけでした。

(この辺の仕組みは、別の機会にじっくり説明します。交流分析という心理学の考え方にある”人生脚本・禁止令”という話になります。)

 

 

注:

もちろん、あくまで自分の話です。一例にすぎません。親が悪いわけじゃないケースの方が多いと思いますし、現実に、今、いじめられている子にとっては、今の相手に立ち向かう力を必要としていると思います。そこには大人の助けが必要だと信じていますし、その大人の助けについての解決策は、スクールカウンセラーがどうとかではなくて、社会の仕組みの問題だと思います。現実に力を持った何かです。その後が、学校の現場的に言えば、事業場外の資源を投入して改善を図る部分だと思うのです。

 

 

でも、我が子には「親には話せない」というような気持ちになってほしくないと思います。だからこそ、心理カウンセラーの学びをして良かったなと思うのです。我が子が3歳の頃「お父さんは話を聴いてくれるので嬉しい」と言ってくれたことがあります。その時、ほんと、私、泣きそうでした。

 

そして、そろそろ、自分自身、次のステップに進みたいと思うのです。

 

 

9月に入り、子どもが行方不明だというニュースやシェアが、ニュースやfacebookで駆け回っています。

「その全ての生徒が無事に見つかりますように。」

今、私がこの手でできていなくても、そのニュースをひとつでも減らしたい。

そう思います。

 

追記:

そして、もし、その原因がいじめなのだとしたら、悔しい。悔しい気持ちを持っていながら、社会の仕組みを変えることができない自分が。 我々にはできることが山ほどあるはずです。行動。必ず行動。アイディアはあるので、あとは行動するだけ。やりますよ。

 

(下は関連記事です。)