いじめについて(自分の体験談と、その心理学的アプローチ)
私は、
我が子がいじめられた時に、そのことを話してくれる父親でありたいと思い、心理カウンセラーの学びをしてきたような気がします。
そして我が子じゃなくても、そのことを話してくれる講師でありたいと思い、塾講師として働いてきたような気がします。
私自身は、言えない子でした。
いじめの定義は難しいのですが、小学一年生の登校初日に皆から置いていかれたり、転校初日に胸倉つかまれて脅されたり、囲まれて殴られたりズボンを脱がされたり、そういったものをいじめと呼んでいいのなら、私はいじめられっこだった時代が結構あると思います。
でも、親には言いたくありませんでした。親には絶対にばれたくありませんでした。
それはなぜか。・・・たぶん、怖かったからです。
いじめっこが?親が?先生が?
いいえ。そうではありません。
私にとって、怖かったのは、
「いじめられる」→「親から愛されなくなる」
という感覚。
わかりにくいですよね。
極端に言えば、
「親から愛されなくなると自分は生きていけない」という恐怖です。
おそらく、小1のときにはすでに、
「置いていかれていること」を母親に言っても、
「助けてくれない」「振り向いてくれない」「むしろ怒られる」
という感覚がありました。
だから、「言わない」ことを決めていたのだと思うのです。
この「どうせ助けてくれない」という感覚は、自分の存在そのものにかかわる、重要な恐怖です。親(的な誰か)がいないと、子どもは生きていけませんから。
(けっこうさらっと書いていますが、今だから、何度も自分を見つめてきたから、言語化できているだけです。言語化できたのも、本当にごく最近のことです。)
結局自分には、
いじめっこに対する怒りなどは、ほとんど無くって、
親から愛されなくなるかもしれないという怖さ、があるだけでした。
(この辺の仕組みは、別の機会にじっくり説明します。交流分析という心理学の考え方にある”人生脚本・禁止令”という話になります。)
注:
もちろん、あくまで自分の話です。一例にすぎません。親が悪いわけじゃないケースの方が多いと思いますし、現実に、今、いじめられている子にとっては、今の相手に立ち向かう力を必要としていると思います。そこには大人の助けが必要だと信じていますし、その大人の助けについての解決策は、スクールカウンセラーがどうとかではなくて、社会の仕組みの問題だと思います。現実に力を持った何かです。その後が、学校の現場的に言えば、事業場外の資源を投入して改善を図る部分だと思うのです。
でも、我が子には「親には話せない」というような気持ちになってほしくないと思います。だからこそ、心理カウンセラーの学びをして良かったなと思うのです。我が子が3歳の頃「お父さんは話を聴いてくれるので嬉しい」と言ってくれたことがあります。その時、ほんと、私、泣きそうでした。
そして、そろそろ、自分自身、次のステップに進みたいと思うのです。
9月に入り、子どもが行方不明だというニュースやシェアが、ニュースやfacebookで駆け回っています。
「その全ての生徒が無事に見つかりますように。」
今、私がこの手でできていなくても、そのニュースをひとつでも減らしたい。
そう思います。
追記:
そして、もし、その原因がいじめなのだとしたら、悔しい。悔しい気持ちを持っていながら、社会の仕組みを変えることができない自分が。 我々にはできることが山ほどあるはずです。行動。必ず行動。アイディアはあるので、あとは行動するだけ。やりますよ。
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