読書『グレート・ギャッツビー』
ぼくがまだ年若く、いまよりもっと傷つきやすい心を持っていた時分に、父がある忠告を与えてくれたけれど、爾来ぼくは、その忠告を、心の中でくりかえし反芻してきた。「ひとを批判したいような気持が起きた場合にはだな」と、父は言うのである「この世の中の人がみんなおまえと同じように恵まれているわけではないということを、ちょっと思い出してみるのだ」
著:スコット・フィッツジェラルド 訳:野崎孝
そう、これが『グレート・ギャッツビー』の書き出し。
前回の記事でちょっと触れたので、頑張って書いてみようと思います。
読書に慣れているなら中学生でもいけると思いますし、
高校生なら大丈夫だと思います。
大学生なら必読です。大人にももちろんオススメ。
はっきり言って、200ページ程度の中編小説の中では、
「BEST in The World」の小説だと思います。
(長編なら『カラマーゾフの兄弟』で。いつか書きます。)
内容は、ネタバレになるので控えたいと思いますが、
学生さんたちにぜひともオススメしたいm(__)m
その理由は、圧倒的な「表現力」です。
表現技法の中に、「比喩」というものがあるのはご存知だと思います。
「直喩」「隠喩」と呼ばれます。
(「直喩」は「~のような」という表現。「隠喩」はその「~」の部分が無い表現です。)
この『グレート・ギャッツビー』のほぼすべてが、
「比喩」の教科書です。
適当にページを開いてみますね。
歩道が白く月光を浴びていた。二人はそこで歩みをとめて互いにむきあって立った。春と秋と、年に二度訪れるあの神秘的な興奮をうちにたたえた涼やかな夜だった。家々のもの言わぬ灯も闇の中に何ごとかをささやき、星屑も戦き(おののき)騒いでいる。
こんな感じで(これ全部「隠喩」です)
小説中のページのどこを読んでも、素晴らしい文章しかありません。
表現的に、ちょっとどうかな?と気になるところすらありません。
※そうそう、国語力アップには、名文の一文一文をじっくり理解しながら読むというのも有効です。この文章にどんな意味が込められているのか。このセンテンスを理解するだけで、理解しようとするだけで、国語力アップは間違いなしです。
このたった、3行くらいの意味を深く考えていくだけで、
はっきり言って、”幸せ”です。
この”幸せ”が、200ページも続くのです。
とても興味深い物語を辿りながら。
それが、どれだけの”幸せ”なのか。
何度読み返しても飽きることはありません。
その度に、新しい発見があります。
いや、ホント、200%オススメです。
この物語は、以下のように幕を閉じます。
冒頭の文章と、この最後の文章だけで、この小説がいかに素晴らしいか。
ご理解いただけるのではないでしょうか。
前回の記事にも触れましたが、ジョン・アーヴィングですら、感動(嫉妬?絶望?)を覚えるような素晴らしさ。
こうしてぼくたちは、絶えず過去へ過去へと運び去られながらも、流れにさからう舟のように、力の限り漕ぎ進んでゆく。
こんな文章がいつか私に書けるのでしょうか。たぶん、無理でしょう。
その圧倒的な悲しさ。
でも、
前に漕ぎ進み続けるしかないのだ。
追伸:
村上春樹翻訳の版や、別の方の版もあるのですが、野崎孝版が圧倒的にオススメ。
村上さんのファンには申し訳ないのですが。(かくいう僕も村上さんのファンであることは間違いありません。)サリンジャーも、ジョン・アーヴィングも、村上訳じゃないほうが好きです。ただ、レイモンド・カーヴァーに関しては、もはや村上訳が彼の文章と同化していて、評価をすることができません。そうそう、カーヴァーのことも大好きです。彼の「僕が電話をかけている場所」もオススメ。好きなこと書くともはや読書ブログになっていってしまいます。反省。
ちなみに、最近、レオナルド・ディカプリオ主演で映画化されました。内容はともかく、アメリカの1920年代バブルを視覚で体験するにはオススメ。