ローカルフリーランス日記

北九州地方に住むフリーランス。話を聴く人。イベント作り。創業機運醸成、防災、街づくり、引きこもり支援、博物館、フードイベント、句会、古代史研究会など。昔のことは→ https://works.toiroha.jp/500

2016年、まとめ

「誰でもできることを、誰もできないくらいやり続ける」

 この言葉をいただいて、私はこのブログを始めました。というわけで1000文字×100記事を毎日書きました。その時は羽田空港で100円入れて閲覧するPCで「心理カウンセラー ブログ」と検索したら3番目に表示されるくらいまでになりました。

 それから今は月2回くらいしか書いていませんが、いくつかの記事はいまだに検索から読まれています。ありがたい話です。今後はさらに頑張って取り組んでいきます。というわけで、昨年をまとめてみます。

 

「昨年読まれた記事を紹介」

 まずはこれ。


 年末年末になると、急に読まれるようになるこの記事。中学生の皆さんは、もっと早くから作文には取り組んだほうが良いですよ。

 「国語 作文」「高校入試国語作文問題」「作文 高校入試」といったキーワードで検索されて読まれています。キーワード作るときに、他の記事では「福岡県の高校入試」という単語をタイトルに入れていましたが、そうなると余計に読まれなくなるということがわかりました。いらんキーワードは入れないようにします。また「テストの点は良いのに」という単語が心にひっかかって、ついクリックしてしまっているのかもしれません。

 

続いてはこれ。

 

と、これ。 

 

  「告白できない」というのは切実なんですね。「中学校 告白出来ない」というキーワードで前後変えたり表現多少変えたりしながら検索されています。昨年の記事ですがめっちゃ読まれていますね。前も書いたんですが、このブログを読んで不登校の生徒が学校に行くようになったという話を聴いて、とても感動しました。

 別記事で「モテたい」の記事もあるんですが、競合が厳しいせいか一切検索されていません。中学生男子は「モテたい」という欲求が、正しくアウトプットされていないんでしょうね。実際子どもなので。「その気持ちは全部モテたいってところに繋がってるんやで~」と教えてあげたいです。

 

最近はこれ。


 自分のfacebookアカウントでシェアしたのもあり、知り合いにかなり読んでもらいました。facebookで繋がってない人たちにまで「ジョイフルの話読んだよ!」と言われる始末で、口コミの拡散力に驚いています。ライターとしての仕事がもらえそうな感じですよ、マジで。たまには体を張った取材記事も大事ですよね。てか、取材じゃねえし。

 

今年もよろしくお願いいたします。

というわけで、今年は色々と文章的にアウトプットする機会が多くなりそうなので、よろしくお願いいたします。マチココ、フォローしてください!当面は、週に4記事は書きます!!!抱負ではなく、具体的な行動を目標にして頑張ります!

万里の長城もひとつの煉瓦から!

 

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「カウンセラーは”聞くだけ”」だと言われないための、大きなポイント

 ネットなんかで「カウンセラーは聞くだけ」といった意見を良く目にします。特に教えてgooや知恵袋なんかで「カウンセリング受けてみたいんだけど・・・」の回答のベストアンサーで良く見る気がします。まあ、そうなんだけど、ちょっと残念です。カウンセラー側の力量不足という面もあれば、まずは聴かないと始まらないという面もあります。

 でも、ちょっと気をつけるだけで、ぐっと印象が変わるんですよ。今日はけっこう具体的な話を書きます。親子関係や会社や友人とのコミュニケーションもにも使えるテクニックなので、お悩みの方にはぜひ読んでいただきたいです。

 

 カウンセラーの「は」の話

 カウンセラーが聴く技術を学ぶときに「繰り返し」や「応答」というテクニックを学びます。基本的に、話を聴く際にはクライエントの鏡であることを求められますので、頷いたり、相槌したりがほとんどになります。そのまま言葉を「繰り返し」て伝えることも多いです。実際の事柄や、気持ち、そんなものを「繰り返し」て返答していきます。

 「○○なんですね。」「○○と思われたんですね。」などなど。よく聞きますね、そういう言葉。

 

「は」の使い方。

 よく使う言葉の中で、私が気になるのは「あなたは○○と思われたんですね。」という言葉。個人的にはすっごく違和感があります。でも私もカウンセリングの修行中、良く言われていました(もちろん言ってもいました)。「YAPPYさんにとって○○が重要なことなんですね。なるほど。」的な。

 この「は」って平仮名ひとつの話ですが、実際必要ないと私は思います。「は」という平仮名がひとつ入るだけで「私は、あなたと違う考え方を持っている」という前提があることに気付かれますか?

 「○○と思われたんですね。」「あなた○○と思われたんですね。」という言葉の違い。いかがでしょうか?ぜひ声に出して違いを体感されてみてください。その言葉を言う相手に、共感されている気がしますか?

 あくまで私の意見ですが、相手が話すときに(あなたと私は違う)という前提を入れる必要はないと考えています。意識的に「その考え方は間違ってるよ」と言いたいなら別ですが。(でもカウンセリングの場合では必要ないことだと思います。)

 

伝えるときには、むしろ「は」を使う

 逆に、自分の意見を述べるときに「私こう思うんですよね。」と発言するのは大切だと考えています。「私はあなたに意見を押し付けていません」と伝えることはとても大切なことだと思います。特に「感情」にフォーカスするときには気を付けたいことです。「私にはあなたが悲しいように見えます。」とか「私には悲しい感覚があります。」くらいの言い方が良いかもしれません。

 

無意識の前提が大切

 そんな話を聴く側も意識していない何気ない前提がクライエントに伝わります。その無意識の前提は、コミュニケーションの場面で、常に交換されています。簡単ではない話だと思います。 でも、相手に「共感してもらってないな・・・」と思わせてるって、寂しいですよね。貢献できてない自分に悲しくなるくらいです。

 相手に本当に興味を持って聴いていれば「そう思われるんですね。とても興味深いので、なぜそう思われたのか教えていただけませんか」という姿勢になります。それは、結局、技術の話ではなくて、本当に興味を持って聴くということに他ならないのですが。

 

 そんな話もしました。 


 カウンセラーやコーチの皆さんや、接客業をされている皆さんは、ぜひ言葉の端々の前提を意識してみてはいかがでしょうか。私もそんな細部をもっと自然にこだわれるとより良いカウンセラーになれる気がします。

 

 ちなみに、私が話を聴くときに「あ、違うな」と思ったら、「マジで?なんでなんで?もっと詳しく教えてもらえます?」と言うようにしてます。逆に食いつき良くしてます。というより、私と違う意見を聴かせてもらうためにカウンセリングしてるようなものです。人の話は、常に興味深い(ある意味面白い)ですからね。

 

 言葉の前提というところでは、こんな話もしています。

 

 追記:つーか、あなたと私の意見が違うことなんて、当たり前なのが前提ですから。「いちいち伝えんでもいい。」と、私思います。

 とは言え、一歩外に出ると「それはあなたの意見ですよね」ってマウントしてくる人も多い昨今です。お互いに認め合いながら会話ができたら嬉しいですね。

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15の夜

 さてさて、昨晩は大変有意義な夜でした。(注:このブログは15日に書いています。)


 最近、ありがたいことに、特に収入があるわけでもないのですが、終電になることも多くて。昨日もそんな夜でした。

 わりと寒い夜。12時も過ぎたころ。

 駅に着いて車に乗ろうとしたら、鍵が見当たらない。家の鍵と事務所の鍵と車の鍵が一緒になっているので、どうしようもない。鍵はおそらく事務所にあると思うのだが、電車も最終のため取りに戻ることもできない。とりあえず自宅に戻ろうと、駅でタクシーに乗り自宅まで。1470円払い、我が家に到着。しかし。

 

 寒い。そして絶望。

 1時間以上、インターホンと自宅電話を鳴らし続けているのだが、家の中からは物音ひとつしない。寝ている家人に、必死で祈りを捧げるが、もちろん届かない。私の帰りを本来待つべき玄関に明かりが付いているのが余計に切なさを増す。ツイートなどして遊んでいると、あっという間に1時間が経過。明日の朝、黒崎駅に8時に人を迎えに行かねばならないのだが。後6時間しかない。

 

 完璧な防犯対策の我が家。全ての窓をチェックしてみたが一部の隙もない。しかし、家の側に、高さがありそうな脚立を発見。

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 これで2階に上がることができれば、状況が改善されるかもしれない。だが、錆びていてぐっと開くことができない。

 微妙に足元も覚束ない中で脚立に登ってはみたものの、

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絶妙に届かない。

梯子状態にできれば届くのだが・・・。錆びていて無理。

よその家から見たら、完全に泥棒。しかし、近所の人に通報されることもない。それはそれで大丈夫なのだろうか。多少不安になる。

 

2時間経過。寒い。

2時間、インターホンと電話にプラスして窓を叩く、小石を投げるなど、いろいろと試したが、家人の反応は無い。本当に無事なのだろうかと不安にもなる。

うう、ぶるぶる。そろそろやばくなってきた気がする。

 ツイート仲間がいじってくれる。けっこうリアル。

 

 さすがに身の危険を感じたため、24時間OPENのここではない何処かへ移動しようと考えたのだが、近いところといっても、最寄りのジョイフル(ファミレス)まで徒歩1時間以上。最寄りの資さんうどんまで徒歩1時間半以上。そう、ここは超田舎なのだ。

 コンビニまでは30分くらいかもしれないが、朝までコンビニに立つのは厳しい。しょうがない。行くか。ジョイフルへ。明日、午前中までに提出しないといけない書類があるのだが。仕事はムリだ。

 

 予想以上に遠い。そして、小雨。

 小雨降る中、おっさんがフードかぶって延々歩いている。当然のように、傘は持っていない。タクシー通ったら乗ろうと思うが、タクシーどころか通るのは新聞配達のバイクだけ。しかし、この得も言われぬ高揚感はなんだ。雨は冷たいがだんだん元気が溢れてくるようだ。右手に持つノートパソコンの重さは少しずつ重さを増していく。でも、なんだろうこの幸福感。幸福論。幸福なんです。

 

 1時間15分程歩いたところで、見慣れた風景が。

ジョイフルめっちゃあったかい。

ジョイフル最高の店や。素晴らしいところ。

ドリンクバー込みで、¥390(税込¥422)。安い。幸せはすべてここにある。

 

 3時間ほど、仮眠。

 それにしても、朝方のジョイフル、けっこう人が来る。面白いのが、ほぼ全員常連さんで、注文せずにドリンクバーのところへまっしぐら。店員さんもわかってる感じで、ドリンクをついでいるお客さんに、注文を聞きに行く。これはこれで暗黙のルールなんだろう。

 うとうと仮眠したあと、また、駅へ向かって徒歩。そして電車に乗って、人を迎えに行って、朝勉強会に参加し、朝ごはん食べて、また電車に乗って、書類を提出して、今昼の2時。夜も用事があるので、風呂も入りたいし、寝た方がいいのだが、このブログに1時間くらいかけてしまっている。

 

 僕は何をしているのだろうか。毎日が日曜日。毎日が楽しい。

 

十七歳の地図

十七歳の地図

 

 

追記1:鍵はもちろんありました。セーフセーフ!

追記2:家人から、翌朝電話ありました。むしろ無事だったのかとほっとしましたが「気づかんやったわ~」と一言。めちゃめちゃ大きい音で、家じゅうの音が2時間なり続けたと思うんだけど。逆に心配になる。

良いイメージを共有して、社会を変えていく

まずは怒りを感じるニュースから

 という報道があったことをご存知の方も多いと思います。久しぶりに怒りを禁じえないというか、悲しくなるというか。情けなくなるというか。先日も同じような記事があって、とても複雑な気持ちです。

 始めは「酷い話だな」と思っていたのですが、そんな言葉で片づけていい話じゃないですね。もしかしたら学校や全体で悪いイメージを共有してしまっているのかもしれません。担任も言おうとして言ったのではない。でも口からその言葉は出てしまった。

 ファシリテーターとして会議に参加していても、カウンセラーとして会話をしていても「意図していない言葉」は良くでてきます。その「意図していない言葉」が一番コアな部分であることは良くあります。

 今回のことも、こうやってたまたま先生の口から飛び出してしまったのでニュースになっているのですが、その「イメージが共有されてしまっている」ということのほうが問題点なのではないでしょうか。「口には出さなくてもみんながネガティブにイメージしている」という状態が続いているということだと思うんですね。それはとても怖いことで、このイメージを塗り替えることは簡単じゃないな、と思うのです。

 

イメージを共有する体験

 ちょっと話は逸れるのですが、私は今週とても面白い経験をしました。運営に携わらせてもらってる、北九州創生塾ゼミ勉強会の話です。「古事記とシェアリングソサエティ」「キングダムと経営戦略」「ニューパラダイムの哲学概論」の3本。どのゼミも白熱の議論でした。とてもエキサイティングでした。

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 そこで何が行われたかというと、例えば「古事記ゼミ」では、全体の概略を話すことはほぼなく、【しらす】という平仮名の意味をひたすら共有しました。そこから自由に発想していくと、出てくる言葉は違うのですがなんとなく似たイメージを共有しているような感覚になりました。例えば、「梅干し」を言葉で表現しようとすると、いろんな言葉がありますよね。でも「梅干し」という言葉を発するだけで唾液が出てくるような。そんな感じに近いのかも。でももうちょっと上の概念かもしれません。それはおそらく「イメージの共有」なんです。

 

イメージを共有することの幸福

 言葉が違ってもイメージが共有できている感覚は、私にとってとても幸福だと言えるものでした。驚きだったのは、初めてお会いする方も多かったのにも関わらず、2時間程度でイメージが共有できるところまで辿り着いたということでした。「平仮名の持つ力」は本当に凄いなと改めて感じましたし、これがコンテクストなんだとわかりました。「文脈」とか「背景」と訳される言葉なんですが、言葉にできないコンテクストはたくさんあるんだと気づきました。

 「キングダムゼミ」は身内の戦略会議だったので、当たり前のようにイメージの共有ができていましたし、「哲学ゼミ」にもたくさんの驚きがありました。哲学に触れたことがないという方ばかりとは思えない、かなり最先端の議論に近づいたと思います。

 ここで言えることは「共通のイメージを塗り替えるためには、新しいイメージを作って共有し続ける必要がある」ということじゃないかと思うのです。その共有の過程には何度も何度も繰り返し伝えたり言葉を交わしたりしながら、コミュニケーションの質と量を増やしていく過程が不可欠です。


じゃあ僕自身はどうするのか

 先のいじめの話に戻りますが、ニュース化されることによって、さらにネガティブなイメージが強化されて共有されてしまっているおそれもあると思います。そのイメージを塗り替えることは簡単ではありません。

 でも、幸福な未来のイメージを、大人が作らなくてどうするんだという話です。大人たちが今のイメージを持っているから、子どもたちから出てきてしまうんです。それは幸福な未来を大人がイメージできていないという現状があるからではないでしょうか。

 大人たちがコミュニケーションを増やしながら幸福な未来をイメージし共有していく。簡単なことではないかもしれませんが、今回また一歩さらに進めたという手ごたえが自分の中にあります。たった3文字のひらがなだけで、イメージは共有できるんです。それもすごく深く。

 大人たちがそうやって幸福のイメージを共有することで、子どもたちが自然に幸福な未来を共有している。そんな北九州であってほしいし、微力ながらですが、そんな幸福なイメージを共有する場を作るお手伝いをしていきたい。そう考えています。

オススメ本のご紹介 『疫病と世界史』

私、文庫が好きなんですよね。

小さくて、持ち運びやすいのがいいところです。ポケットに入る仲間みたいな。

長い旅を一緒にしてきた気がします。例えばこの本。

 『疫病と世界史』著:ウィリアム・H. マクニール

おそらく、人類がスタートしてから今まで、戦争というものが無くなったことはありません。人々が争い続けた過程が、歴史そのものかもしれません。しかし、私たちはその戦争の勝敗が、なんによって決定づけられるのか。実際のところは、ほとんど知らないのが現状ではないでしょうか。

 

勝敗に影響を与えるもの。それは武器かもしれないし、戦略かもしれない。指揮官や兵隊たちの士気も大きな影響を与えるかもしれません。この本に書かれているのは、「病気の伝染」が大きな勝敗をわけたのではないか、ということです。

 

私が初めてこの本を読んだとき、あまりのびっくりに、眩暈がしました。今まで、戦術や武器の進化がすべてだと思っていたからです。例えば「ヒッタイトは鉄器を使ったんで強い!」みたいな。

 

疫病が戦争に与える影響

戦争とは人の移動の歴史でもあります。人が移動するとき、病気も移動します。予防接種などでもわかるように、人間は一度その病気にかかると耐性を獲得することができますが、人が移動した先ではその耐性を持っていない人が住んでいます。

 

例えば、アメリカ大陸の先住民の話。なぜ、アステカやインカ帝国は征服されたのでしょうか。たかだか500人程度の相手に対して。ここは原文を引用しましょう。

スペイン人が新大陸アメリカに侵入してきたとき、アメリカ原住民は天然痘などに為す術も無く犯され人口は20―25分の1に激減した。これは無理もない。ユーラシア、ヨーロッパ、アフリカ間の広大な土地がもたらす生物多様性の中で、繰りかえしの厄災をくぐり抜けてタフになったヨーロッパ人に比べると、アメリカ原住民はただの無垢なヒトにすぎなかった

疫病と人類の戦争

そのように、疫病の拡がりが、人間の歴史に大きな影響を与えました。しかし、今、大部分の疫病は人間の英知によって、根絶し、抑えこまれています。疫病と人類との、戦争の歴史だと言えるのかもしれません。その観点からみても、この本は詳しく、また、何より面白く、書かれていますので、おすすめです。

ぜひ一度読んでみてください。

 

追伸:ビブリオバトル行ってきました!

というプレゼンを11月27日に北九州市の八幡西図書館で。こんな感じです。

楽しかったです。自分の趣味を人に押し付けるのは、なかなか快感ですよね。また機会があったらチャレンジしたいですね!

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で、 見事、『疫病と世界史』がチャンプ本に(*^_^*)

というわけで、みなさんも図書館に行きましょう!

一緒に考えることの幸せ

自分のFACEBOOKで投稿した内容が長くなったので、ブログにも転載。二度見注意!

 

最近、自分が「学び」好きだということを認めるに至りました。(高校の勉強は本当に嫌だったですけれど・・・・。)好きが高じて、新しい学びを準備するところに関わっているので、その背景を書いておこうかなと思いました。(思いのほか長くなってしまいました。お時間あるときにどうぞ。)


知らなかったことを一緒に考える幸せ

考えてみれば学習塾の仕事も、心理カウンセリングのスクールも新しいことを学べたという意味でとても楽しかったです。さらに前職では、「自分が面白いと感じたこと」や「自分が学びたいこと」がビジネスの基盤になるという体験をしました。自分が学びたい先生をお呼びして講座を開いて、それが収益になるって感じです。


それから、秘密基地に出入りするようになって2年くらいでしょうか。創生塾(←ご興味ある方はこちらにいいね!していただけると嬉しいです。)での講師も務めさせていただき、このたびいろいろ企画立案もさせていただけることになりました。


そこで考えたのが「大人にも、一緒に考えて学ぶ場があればいいな」ということでした。創生塾に来るまでには、教わるという体験はたくさんありましたが、一緒に考えるという体験はあまりないような気がしていました。それは、少し残念なことで。


でも、最近は、いつも何かを誰かと一緒に考えています。とりあえず一緒に考えて行動してみるという場があります。これは、実は、僕にとってはとても新鮮で幸せなことでした。


言葉の意味や背景(文脈)を共有する

この2年間。様々なことをテーマに夜な夜な議論を繰り広げてきました。それは人がどう生きれば幸福なのかという話であり、他人に貢献することの意味であり、自己肯定感を高める過程を共有することでもあります。その甲斐あって「なんとなく」で話が通じるような気がしてきました。


この「なんとなく」を伝えたい!と思っています。でもそのためには、同じ2年間を共有する必要があります。でもそんなことは当たり前ですけど、簡単な話ではなくて。


特に、秘密基地や創生塾という場は、オーナーである岡兄弟が表にでることがあまりなく、ましてやその想いをオープンに語ることなどほぼありませんでした。でも、このふたりの話、めっちゃ面白いんです。本当に。始めは横文字が多かったりと全然理解できなかったんですけど、こっそりググりながら聞いたりしているうちに、「なんとなく」理解できるようになってきました。


そのうちに、私の中に「このふたりの話をもっと広く伝えたいな~。」という思いがふつふつと湧いてきました。そして、そのために必要なことが2つ思いつきました。


ひとつは、言葉の意味や背景(文脈)や前提を共有すること。

これは、学んでいく部分なので、実は創生塾として行っていることそのものです。方法論にとどまらず在り方論が多いのも特徴です。


表現のパターンを増やす

もうひとつは、たくさんの人に伝わるように言葉の幅を増やすこと。

自戒の意味をこめて、になりますが、僕が「なんとなく」理解できても、それは僕の理解に過ぎません。僕の理解を押し付けたところで理解が広まるわけではありません。でも、一緒に考えたら、どうでしょう。ひとつの理解をたくさんの言葉で表現することができるのではないでしょうか。ここ、僕にとってとてもワクワクするところなんです。

 

もしかしたら、全員が共有できるような言葉が見つかるかもしれません。そうなるとコピーライティングとしても最高ですよね。


創生塾ではゼミを始めることにしました。

というわけで僕の想い(わがまま)も載せて、今回スタートするゼミは3つ。新しい表現が生まれるんじゃないかなと期待しています。「教える」ではなく「一緒に考える」、良い機会になると思います。


「古事記とシェアリングソサエティ」


【漫画キングダムで読み解く、21世紀の実践的戦略論】


「The new Paradigm 新しい時代に向けた哲学基礎講座」


タイトルからして濃いでしょ。でも古事記ゼミはイベント告知して一日で定員15名が埋まったんですよ。正直、めちゃめちゃ驚きました。本当に凄いですよね。(この記事の画像も古事記の中にでてくる因幡の白兎からです。)

私は半分くらいは通訳みたいなイメージで、皆様の学びのサポートができればと考えております。


古事記ゼミは明日(15日)です。何名かキャンセルでたので、まだ参加可能です。
では、皆様にお会いできることを、楽しみにしております。


追伸1:キングダムを読んだことが無いという方が、意外に多かったので読もう!キングダムというただ漫画を読むだけのイベントも開催します。ぜひご参加を。

 

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イノベーションを起こすための、考え方の考え方

もはや日本語のように使われるようになった、「イノベーション」という単語。

Wikipediaにはこう書いてあります。

イノベーション(英: innovation)とは、物事の「新結合」「新機軸」「新しい切り口」「新しい捉え方」「新しい活用法」(を創造する行為)のこと。


イノベーション」はどんな時に起こるのでしょうか。

 多くの場合イノベーションは、異なる考え方を掛け合わせる時に生まれると言われています。我々がイノベーションについて思いを馳せる時、まず必要になるのは自分の知らない知識や概念になるのではないでしょうか。

 自分と異なる考え方を手に入れようとするとき、私たちは様々な壁を目の当たりにすることになります。言語の壁。認識の壁。概念の壁。文脈の壁。

 

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先人たちに学ぶ

 私たちがその壁を乗り越えようとする時、私たちにはその壁と戦い続けた偉大なる先人たちが残した多くの考え方や概念に触れるという選択肢があります。

 

ぱっと思いつくだけでも、「ソクラテス」「プラトン」「アリストテレス」「デカルト」「スピノザ」「ヴィトゲンシュタイン」「デリダ」「ドゥルーズ」といった哲学の巨人たちがいます。他にも本当にたくさんの知の巨人たちがいます。

 

彼らの学びを少し俯瞰するだけでも、様々な学びがあることがわかるでしょう。

 

他の考え方があることを知る

学び、議論することで、様々な考え方や捉え方があることを知り、頭を少し柔らかくすることで、「あれか、これか」の二択ではない新しい発想を生み出す土台になります。

普段手に取らないような分野の書籍がなぜか気になることがあります。読んでみると、まさに今の自分に必要だった。そんな体験をしたことがある方も多いでしょう。

 

いつもの自分でいると、いつものジャンルや嗜好のものを手に取ってしまいます。でも、本当はあなた自身が、今、本当に必要としているものには気づいているのかもしれません。

本屋さんで、図書館で、誰かのSNS投稿で、「おっ!」と思ったらそれがチャンスです。ぜひ自分からのメッセージに耳を澄ましてください。

哲学、面白いっすよ。

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 私のバイブルはこの記事で紹介した『哲学用語図鑑』です。哲学者と話すときには手元に置いておきたいですね(#^.^#)

って、我々のまわりでは、冗談抜きで必要ですからね。

興味ある人は、ぜひ下記へいいね!してくださいな。今はここで講師や事務局的な動きもしています。

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