ローカルフリーランス日記

北九州地方に住むフリーランス。話を聴く人。イベント作り。創業機運醸成、防災、街づくり、引きこもり支援、博物館、フードイベント、句会、古代史研究会など。昔のことは→ https://works.toiroha.jp/500

リーダーシップについて

リーダーシップについていい表現を教えてもらいました

カウンセラーやコーチと呼ばれる人たちが成功するときに、自身の「自己肯定感」がなにより必要だと私は考えています。もしカウンセラーやコーチにセッションを依頼しようとしたときに、「この人は自分自身のことを好きじゃないな」と、ちょっとでも思ったなら、そのカウンセラーやコーチはやめといたほうが無難です。

 

自分のことを全く好きになれない人は、本当の意味で相手のことを認めることはできないと思っています。自戒の意味も込めてあえて書きますが、ここは本当に大きなところです。

 

リーダーに大切なのも自己肯定感

リーダーも同じであると考えています。チームのメンバーは良くも悪くもリーダーを見て、行動していきますし、リーダーの在り方がチームの在り方になっていきます。

 

リーダーが良きリーダーであるためには、チームメイトを良きリーダーに育てる必要があるのかもしれません。リーダーとしての背中を見せるということは、リーダーを育てることと同じです。

 

優しさについても同様です。

優しさを持っているリーダーは、優しさを持つチームメイトを育てるはずです。もしくは、真の優しさを持つリーダーには優しさを持つチームメイトが集まると言えるかもしれません。

リーダーとしての優しさとは何か、というのも大きなテーマですよね。厳しさも時として優しさそのものですし。まさに『優しくなければ生きていく資格がない。』わけで。

リーダーやチームが社会的課題を解決していく中で(そこで初めて価値が付与されると考えています。)他者への貢献というのもひとつ大切なことになります。

 

人は、一人で満たされることはない?

そして、他者との関わりなしに人間は生きていくことができません。ここでもお伝えしています。

「心の栄養」は大切

→拙サイト(絶賛工事中)「まちココ」 

 

でもそれ以上に大切なことがあります。それは、「ある程度、自分が満たされることがそもそものスタートライン」ということです。自分が満たされていない、自己肯定感の低い状態で、誰かに貢献しようと思っても、キツイだけです。

だから、まず、半分でもその半分でもいいので、自分で自分を認めてあげるということがとても大切なんです。

そして、多少満たされてきたな・・・、と感じるようになったら、そこから貢献を始めればいいのです。

 

じゃあ、自分をどうやって満たせばいいのか、って話ですよね。簡単です。リーダーに満たしてもらいましょう。頑張って、超頑張って、ここだけは頑張って、そんなリーダーのところに行きましょう。必ずその辺にいます。あなたを認めてくれるリーダーが。

 

まとめ

いくつかまとめると「リーダーが自分を満たす→社会に貢献する」「チームメイトはリーダーを見て育つ」「リーダーは部下の自己肯定感を育てるのが役目。」ってことです。

一言でまとめると、

「リーダーは自己肯定感を高めるモデルになろう」

ってことですね。最後のところ、受け売りです。

そして、チームメイトを勇気づけ続けるのも、リーダーの役割かと。

皆さん、頑張ってください!

 

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追記:リーダーなんて嫌だった

残念な話なんですが、実は、社会人になって一度も、人の上に立ちたいと思ったことはありません。生まれてこの方ずっと、かもしれません。

記憶の中で「自分が確実にリーダーだったな」と思うのは、小学校1年の時、近所の年下たちを連れてバスに乗って映画を見に行ったときくらいですね。

(よくそんなこと大人たちが許したな、と思いますが。)

しかし、その時は妹がいたので、リーダーというより妹を守る意図が強かったのかなとも考えます。

できるだけそうならないように細心の注意を払ってきたし、評価が上がってきたなと思ったらわざと下げるようなことも(無意識的には)してきました。

 

本当に例外なく、バイトも正社員としての仕事も、役職がついてから一年以内に辞めています。塾で教室長をしていたときも、教室長という名の平社員だったのです。その後役職をもらいましたが、一年以内に辞めています。

 

そんな私がある意味チームを作っていこうというのですから、おかしな人生だと思わざるを得ませんが。とりあえず、自己肯定感を高めるために、自分を認める毎日です。

 

ファシリテーターという考え方

どうも心理カウンセラーのYAPPYです。

(久しぶりにこの書き出しで、久しぶりにこちらのブログを書いています。)

 

まちココ

近況報告ですが、自分のブログっていうかホームページを作っています。

画像がほとんど無い、TOP画像も無いページですが、いま育てているところです。

とりあえず、テキストを突っ込んでおくのが初期には大切だと思うので、毎日コツコツ作っています。内容はこのブログで書いてきたことのリライトですね。

 

それと、最近、各所で講師的な仕事もいただいているので、そろそろ自分も法人としてやっていこうとも考えています。10月1日には・・・。

↓このとき書いたことをやっと実行している感じですね。遅い・・・。 


 

なかなかうまくいかない毎日

最近は、講師としてだけでなく、ファシリテーター的な活躍ができることも評価していただいて呼んでいただいている部分もありますが、それがけっこう「自分には合ってるな」と思っているのです。

 

僕自身はがっつり子どもなので、楽しいことには関わりたいと常日頃から思います。

しかし、自分の身を守るためには相手を攻撃するようなこともやぶさかではありません。

 

もともとカウンセラーを養成するスクールで働いていましたが、業界としても会社としても喧嘩っ早い人は多かった印象があります。「メンタルの会社で働いていたり、仮にも心理カウンセラーとして活躍しているのに、コミュニケーションへたくそだし、抑圧、依存、パワハラのオンパレードやな」といつも思っていました。(もちろんまともな同僚もたくさんいましたが。)

 

でもそれは、全部自分にブーメランとして帰ってくる言葉で。

 

会社が無くなってから「少しずつ大人になってきたな」と自分では思っていたのですが、いやいや全然そんなことなくって、自分や自分の周りを守るという意図があるにせよ、攻撃性を高めている日々だったのです。ええ。

 

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 (こういう感じにならないように、気を付けてはいるんですが)

 

ファシリテーターとして

何かしらの会議に参加しているとき、どうしても自分の意見を言ってしまいます。そうすると、誰かを攻撃してしまうことに繋がってしまいます。会って話しているときはまだ良いのですがLINEやfacebookでやりとりしたりしている場合も、同様です。相手からの攻撃しようとする意図が見えると、思いっきり反撃してしまいますね。コミュニケーションの知識という武器を装備しているだけに、効果的にダメージを与えてしまいます。

 

しかし、ファシリテーターとして、場に貢献するという意図で立っているときに関しては、なぜか良い方に進んでいくんですね。不思議なんですけど。

カウンセラーとしての場合も同じなんですが、自分を役柄という在り方で縛るとき自分の攻撃性が減少し、貢献しようという意図だけがいい感じで残るのかなと、考えていますがいかがなものでしょうか。

 

なるべくポジティブな言葉を使う

体の中には75%以上も水が流れていて、ネガティブな言葉を使い続けると、その水の結晶が壊れるという話さえあります。

もうこれからは「ファシリテーターとしてだけ、いろんなものに関わろう」とさえ思う、今日この頃です。そのほうがポジティブな言葉だけを使って生きていけますからね。

 

とはいえ、今から法人作ろう、と言っている人間が言うようなことでもない気がします。

それもリーダーの在り方次第なのかもしれませんが。そもそもリーダーなんておこがましいんですが。ええ。

リーダーシップについて最近思うことは、次のブログで語ります。

 


今、やりたいこと。

しばらく更新していなかったので、今考えていることを。最近活動していることの理由みたいな話で、理念的な話です。

 

まあ、ニートの戯れ言っすね。

 

 

【一番大切なのは家族の幸せ】

 

大人が幸せになるのは本人次第だと考えているので、(良きにせよ悪きにせよ、自分自身が選んだ道を大人は進んでいる。)幸せになっていくなかで、誰かの手助けが必要なのは子どもたちだと考えます。

 

んで、「我が子の幸せ」と考えた時には、現状彼はわりと幸せに生きている気がします。

 

でも彼が大人になっていく、これからの人生の幸せを考えたとき、

どうしても、日本の未来や教育の限界から目を逸らす訳にはいきません。

 

様々な仕組みがすでに終わっているとさえ思うことがあります。

家族や学校、働き方、などなど。

 

だからこそ、わたしは、

今から彼が生きていく社会を幸せなものにしていくためには、「街」という概念を変えるのが一番早道だと思っています。

 

子どもたちの幸福のために必要なことは、三つあると考えています。

 

1「家族(特に母親)の幸せ」

→ここでは、カウンセラー的な相手の立場に寄り添った考え方ができる人を増やすことで、お母さんたちのケアができる人達がたくさんいれば良いと考えています。

それは、団体として、というより個人の在り方になってきます。

 

2「コミュニケーションの基礎知識」

→基礎的なコミュニケーションの考え方は、全ての人に学んで欲しい内容になります。小学校の必須科目にしてほしいくらいです。

だからこそ、セミナーやワークショップができる人を増やす必要があります。

 

3「コミュニケーションの絶対量を増やす」

→私は、幸福というものはコミュニケーションの総量に比例すると考えています。もちろん質も大切です。

子どもにとって大切なのは親だけでなく、余所の大人とのコミュニケーションも大切です。

具体的には、お祭りやイベント、コミュニティを増やし、大人と子どもの触れ合いの機会を増やすことなどがあります。

 

以上の三点が大切で、且つ、私ができることだと考えていますので、そんな団体を作っていきたいと思います。

 

我が子を幸せにするなら、彼のことを見るだけでは足りなくて、社会全体の幸福の話になるんじゃないかと思っています。

 

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そんな意味で、皆さんが、我が子が幸せに生きる社会を作っていくことは、きっと全ての大人たちにも幸せなことだと思うんですけど、どうでしょうか。そんな話です。

 

追記:新HPのアドレスが手に入ったので、そろそろ新しい動きを始めます!

依存と貢献のあいだ

実は密かにツイッターやってまして。フォロワーもいないんで、基本的にはネットの海に愚痴を投げ込んでばかりいるんですけど。

 

昨日のツイートをもう少し詳しく掘り下げたくてブログにしてみることにしました。

 

僕が考える「カウンセリングの到達点」みたいな話になるんですけど、我々ってなんのために生きてるんですかね。

 

今の僕が言えるところとしては、

自分のやりたいことをやり続け、それが誰かへの貢献になる。

ということが「生きる意味」だと思っているのです。

 

 

「意図」と「結果」をわけて考えてみる。

ここで、きちんと整理するために、「意図」と「結果」にわけて考えてみます。

 

「自分はこれがやりたい!好きなことをしたい!」というのが「意図」です。

 

「誰かの貢献になっている。」のが「結果」です。

 

カウンセリングの現場って、けっこうな割合で「自分の好きなことができるようになる」というのが、着地点になっているケースが多いと思うんです。

で、「やりたいこと」って何だろう。といって悩むわけですね。

 

でも、「本当にやりたいこと」って、心のブロックがあるからあんまり気づかないんですよね。

 

時には「結果」から考えることも必要かも。

逆に、自分は何が嬉しいのか、について考えていく方が近道な気がします。そこへ行くのを邪魔しているブロックを壊していく方が早いかもしれません。

 

僕の経験だと、何が嬉しいのかを考え続けると、だいたい、「世界人類が平和になりますように」みたいなところに行くことが多い気がします。

 

それって、お互いがお互いを思いやる世界で、その世界は、皆が他者に貢献しながら、幸せを感じる社会ですよね。

 

「貢献したい」という「意図」が、「やりたいこと」という結果に繋がりながら、人と人とがコミュニケーションをしていく中で癒されていき、想いが循環していく中で、自然と

やりたいことが貢献になる。

それが、僕にとっての、カウンセリングのある意味到達点なのかな、と考えています。

 

 

追記:で、誰かに依存していると、ブロックが外れにくいです。ゆるやかに少しずつ依存から自立へ、してもらう自分から、貢献する自分へ。自分への戒めとして書きました。これからもブロック外していこう。

もっと、「やりたい」ことは「やりたい」って口に出し、自分の意思で貢献することができる自分になろう。

 

 参考:「意図」と「結果」については、こちらの記事でも解説しています。思考のステージを上げ下げすることで、「意図」と「結果」を行ったり来たりすると、いろんなことが簡単に把握できます。


ちなみに『相変わらずなボクら』はこの中の9曲目。

IN THE LIFE

IN THE LIFE

 

 

自分の棚卸し③ 「やりたいことをやるということ」

 前々回からの続いている話です。

一応、完結編です。

 

第3章 やりたいことをやるということ

 少しずつ、自分の本当の気持ちで行動できるようになった私でしたが、そんな私のことを快く思わない人達もいました。私が自分らしく生きようとすると、それを抑えようとする人たちです。でも、その時、私はその人たちから離れることはできませんでした。「気にしてないよ?」みたいな顔を作り、でもやり場のない怒りを抱えていました。「自分はもっと自由に生きたい。でもいろいろなとりまく状況が難しくてできない。本当は自由になりたい!」と思っていました。

 

 そんな時、北九州創生塾というところでのファシリテーター養成講座に参加し、講師の渋谷健氏に「何、言い訳してんの?」と言われ、私は怒りました。会社に帰って椅子を蹴飛ばしました。しかし、考えてみると、その怒りは自分自身へのものでした。「やらない」自分に対しての怒りです。何に言い訳していたのかというと、「怖さ」です。居場所や収入を失うのが怖かったんです。自分が大切にしていた人を失うのが怖く、自分が好きに生きると死ぬかもしれないという勝手な怖さがありました。だから行動しなかったんです。できなかったのではなく。

 

その怖さの中で、私はどうしたらいいかわからなくなりました。それからしばらくの間、ただ怖さの中にいました。3か月くらい、そこに居続けました。するとある晴れた日、高速道路を走っていたとき、「塾の生徒だけでなく、全ての子ども達を幸せにしたいな~」という気持ちが降ってきました。

 

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私は、「あ、これだ!」と思いました。そして子ども達を幸せにするためには何が必要なのかを、考え始めました。もちろん完全な答えはでていません。とりあえずの今の私の答えです。

 

 子どもが幸せになるために、必要なこと。ひとつは、親がハッピーになること。全ての親が自分らしく生きることができるようになること。そのためには、心理カウンセラーなどの心のプロがたくさん増え、話を聴くことの枠を超えて、心の栄養について伝える人が増えることだと考えました。本当は、愛は空気と同じようにそこに既にあるもので、それに気づくだけでいいんです。私の母親は彼女なりに、私が望んだものとは違っていたにせよ、私を愛していたことには違いないんです。すべての親がそれに気づくことで、もっともっと子どもを愛せるようなるとわかりました。

 

 もうひとつは、親以外の大人とのコミュニケーションがとても大切だということ。みなさんにも経験がありませんか?駄菓子屋のおばちゃんにオマケをもらって嬉しかったこと。お祭りの時に良く知らない近所のおじさんからもらったアイスがとても冷たかったこと。学生時代に通っていたお店の定員さんの笑顔。そんな名前も良く覚えていないような人達とのコミュニケーションが、実は、私たちにとって心の栄養なんです。

 

 もっと心の栄養が街に増えてほしい。だから私は、イベントやお祭りがもっともっとこの北九州という街に増えてほしいと考えています。

 

 だから、「街に心の栄養を満たす」ために、生きていきたいと考えています。心理カウンセリングを学んだ会社は無くなりましたが、仲間は増えました。当たり前のように街に「心の栄養」が増え、当たり前のようにこの街に住む皆が、そこにある愛に気づく。

 

 そんなお手伝いをこれからもやっていきます。

自分の棚卸し② 「自分自身の、本当の気持ちに触れる」

前回の記事からの続きです。

自分のストーリを添削無しで綴っています。

 

第2章「自分自身の、本当の気持ちに触れる」

 次に私が直面した課題は「誰のために働いているのか」ということでした。当時までの私は、自分のため会社のため家族のために働いているとはとても言えない状況でした。妊娠中の妻に「生まれてくる子どもと塾の生徒どっちが大丈夫なん?!」と言われ、「塾の生徒達に決まってるやん」と答え、怒らせたこともありました。その時の私は、お客様のために働いていました。そういうと良さそうな印象を持つかもしれませんが、私は誰かのためにならないと自分に価値が無いと考えていました。それは、あたかも、母親に愛されないと生きていけないのと同じで、私は母親のために生きていたじぶんそのものだったのです。

 

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 私の母親は大変厳しい、母親で週に習い事を6日させられるような毎日を過ごしていました。私の教育方針を巡って父と母が良く喧嘩していたことも思い出です。苦手なことには集中力がほとんど発揮できなかったり、落ち着きが無かったり、運動神経が鈍かったり、すぐ落ち込んだりする私に、彼女もイライラしていたことでしょう。厳しく育てられている中で、塾選びや進学に関しても、彼女の言いなりになっていました。中学時代に塾を突然変えられたときは、泣いて怒りましたが無駄でした。しかし、母を亡くしてから、私に生きる方向を押し付ける人はいませんでした。でも、それまで私は自分自身の生き方を決めたことがほとんどなく、その結果、求められることの嬉しさのままに、顧客のために、塾の生徒達のために生きてきました。

 

 しかし、会社と顧客の間で迷ったとき、常に顧客の立場に立ち続けるような営業スタイルが、会社のためにも自分のためにも、そして顧客のためにも良いはずがありませんでした。そのしわ寄せの中で、同じことを繰り返してきたような気がします。あまり良い状況では無い会社に入り、そこそこの結果を出し、会社の文句を言いながら会社から心を離し、心をごまかしながら働く。そうして心の限界に気づかないまま、体は限界に近づいていました。塾を辞める頃、私は100キロ近い体重があり、血圧も高くなっており、整骨院に通う日々でした。しかし、カウンセリングを続け、母を失った悲しみを受け入れ、消化していく中で、私は徐々に「自分のために生きてもいいのかな?」という気持ちが芽生えてきました。

 

 そして、塾を辞め3年くらいたった頃、私は一冊の本に出会います。その頃、私はFMKITAQさんというところで「ラジオカウンセラー学院」という番組をしており、次の枠の時間で「関門独立共和国」という番組をしていたのが、門司港バナナマンこと秋武政道さんでした。そんな彼が一番初めにオススメしてくれたのが『ストーリー思考(著:神田昌典)』という本でした。仲間とその本を読みながら、本に従って一本の線を引きました。3日後の自分から今の自分に向って曲線を左手で。すると、2日目にとてもポジティブな線が引かれていました。

 

 2日後、知り合いの娘さんが中学3年生で、国語がとても苦手だということで、会って話をしてほしいということでした。作文の書き方を簡単に教え、あとはとりとめのない話を続けたような気がします。でも、彼女にはとてもためになったらしくて、とても喜んでいただけました。私はそれが、とても嬉しかったのです。相手のためにならなければいけない自分だった私は、「なんだ、私は誰かに何かを伝え、それを喜んでくれることが嬉しいんだ」とわかりました。

 

 そのことがわかった私は、自分が以前働いていた塾に行き、週2で講師をさせてもらうことにしました。自分の知っている技術と知識を伝え、喜んでもらうこと。これが自分のやりたいことなんだと、初めて気づいたのです。

 

 1年半くらいの短い間でしたが、ここでは生徒たちに多くを求めることなく「君たちは愛されているんだ」「君たちはどんな条件であっても合格していいんだ」ということを許可し続けました。それは私自身に言った言葉かもしれない、とも思います。

 

(続く)

自分の棚卸し① 「塾を辞める」の巻

7月1日に機密文章を処理して、本当の意味で会社を片付けた気がしました。

キツイ日々だったのですが、とても楽になった気がしました。

 

そして、7月2日に北九州創生塾というところで、マーケティングの1日講座に参加しました。

 

※北九州創生塾のFACEBOOKページはこちら。

https://www.facebook.com/souseijuku/?fref=ts

 

そこで、宿題として出されたのが、自分自身のパーソナルストーリーを作るということ。できるだけ詳しく書けと、A4に3枚は書けと、厳しく言われたので、頑張って書くことにしました。で、講師の先生が何度も添削してくれて、自分のパーソナルストーリーができる手はずになっています。

 

というわけで、ここでは、その手直しされる前の、ぐだぐだの自分自身の話を、何回かに分けてアップしたいと思います。ある意味、自分自身が受けてきたカウンセリングのストーリーそのものです。

 

というわけで、自分の話。

第1章。「塾を辞める」の巻

「頑張っているのに・・・うちの子は試験で結果が出ないんですよね・・・」

 

 私が中学生向けの学習塾で教室長をしていたとき良く聴いた、お母さんたちのセリフです。今まで中学生をトータルで1000人くらい指導してきましたが、私自身の一番の悩みでもありました。すごくすごく頑張っていたのに、「試験の当日に熱を出したり」「部活の試合前にケガをしたり」「本番前にやる気を急になくしたり」、そんな生徒たちがたくさんいました。

 

 中でも、ひとり、絶対に合格するだろうと確信していた生徒が不合格になった時、私は「このまま塾講師として続けても、同じことを繰り返すだけだな。不合格にさせてしまうだけだな」と思い、塾を辞めることにしました。

 

 いろいろどうしたら良いのか迷った結果、心理カウンセラー養成スクールで働きながら心について学ぶことにしました。営業や事務処理しながらコミュニケーション心理学や自分の幼少期の課題に触れる心理カウンセリングを学んでいく中で、私は自分自身の課題に気づいていきました。

 

 まずおかしいな?と気づいたのは、小さな我が子を見ているときでした。息子はとても可愛く、目に入れても痛くないという意味をかみしめている所でした。しかし、なぜか可愛いと思うたびに、何かいいようのない寂しい気持ちになるのです。夕暮れ、だんだんと暗くなっていくような物悲しさが私を包むのです。

 

 学びながら自分を見つめていく作業の中で私は気づかされました。これは親を亡くした悲しみなんだと。私は20代の頃に両親の無くしているのですが、長男だったこともあり、とても大変でした。忙しさにかまけて悲しめていなかったんだと。初めてそれに気づいた日、私は泣きました。もう両親を亡くして10年以上経っていたにもかかわらずたくさん泣きました。

 

 帰り道、空を見上げると、何か世界が明るくなったように感じました。世界が輝いているように見えたのを強く思い出します。 

 

 そして、家に帰り息子を胸に抱いたとき、その寂しさは消えていました。我が子はとても生命力に溢れ、強く愛されるために生まれてきた存在であると感じました。もしかすると、本当に子どもを愛せるようになったのは、この時かもしれません。そして、その時息子に感じたことは、自分に感じていたのかもしれない、とも、思います。

 

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(続く)